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コラム つね姫の『でこぼこナース道』

白衣の堕天使がつづる「あたってくだけろ!」
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妻という3足目のわらじ
Date: 2005-11-17 (Thu)

11月13日に結婚式を挙げ、翌日に婚姻届を提出してきました。

そう、私もとうとう結婚しちゃったんです♪

私を知っている人は、たいそう驚いていることでしょう。
なんてったって、私自身が一番驚いてます。

夫とは、テニスサークルで知り合いました。
親しくなったのは、テニスをしている時ではなく、飲み会の席で。
お酒の好きな私達は、2人で飲みに行くようになり、それから付き合い始めました。
彼のことはよく知らなかったのですが、
サークルのメンバーが口を揃えて「彼はいい人だ」と言うもんだから、
それなら「いい人」に間違いないだろうと思って付き合いだしました。

私は今まで、自分にピッタリな人を探していました。
例えて言うならば、『ジグゾーパズル』の1ピースを探していた感じです。
ちょっとでも違うと、はまりません。
彼は、ジグゾーパズルの1ピースではありませんでした。
例えて言うならば、『液体』です。
私がどんな形に変化しても、彼は対応してくれます。
時には丸くなり、時には三角になり、時にはイガイガになり・・・。
自由自在に変化する私を、彼は包んでくれます。
これは、凄いことです。

それと、私にとって、もう1つ大事なことは『自由』が束縛されないということです。
結婚して面倒なことは、色々な「しがらみ」が出てくることですが、それがありません。
日本で問題となるのは嫁姑問題ですが、
彼の母は、結婚をたいそう喜んでいて、私を大切にしてくれます。
親戚付き合いもしなくていいです。
そして、彼は大学院に通っている私を応援してくれています。
帰宅は真夜中、時には朝帰りになる私を心配してくれます。
家事の強要もありません。
ありがたいことです。

両親を亡くして7年半。
私にも、新しい家族ができました。
正直、それは嬉しいことです。

友達からは、「こんな忙しいときに結婚するなんて、あんたらしい」と言われます。
だって、今しかなかったんです。
来年になると、もっと忙しくなっちゃう。

結婚式は家族・親戚だけの小さな会だったんですが、ほのぼのとしてよかったです。
他にも、たくさんの友人・知人から祝福していただきました。
結婚というのは、周りまで幸せにするんですね。

訪問看護で訪問している患者さん宅の60歳代の家政婦さんから
「あら〜、今が一番楽しいときねぇ。」と言われました。
・・・ということは、これから下降するだけ????

でも、将来に不安はありません。
彼とうまくいかないことはないと思います。
少なくとも、今はそう信じられます。

大学院・訪問看護のことも色々書きたいんですが、また今度。

別姓派なので、これからも旧姓を使用します。
なので、これからも『つね姫』でよろしくお願いいたします。





千里の道も一歩から(大学院生編)
Date: 2005-06-01 (Wed)

大学院生活のことを書こうと思いつつ、
今度は、気付けば、もう6月!!!

早い、早すぎる。
私だけ、時間の速度が速くなってるってことはないよね?

大学と大学院って名前は似てるけど、全く違うってことに、最近気付いた。
大学は、専門的な学問の基礎を学ぶところ。
大学院は、研究者になる一歩を踏み出すところ。

この『研究者』になるっていうことが大変。
そうそうなれるもんじゃないよ、『研究者』って。

私の師匠は、前々からコラムで話している“できる助教授”。
只今、国際学会の発表でカナダへ行ってる。
国際学会だよ、国際学会。
私なんか、一生そこで発表することなんてないね。たぶん。

この師匠についている同期の弟子は、私以外にもう一人。
3歳年下の松下奈緒似の美人さん。
彼女も面白い人で、
大学時代は地方テレビのキャンペーンガールをして、
就職活動で、アナウンサー受けたんだって。
まあ、落ちたらしいけど。
才色兼備で、今までの友達にはないキャラだよ。

二人でひぃひぃ言いながら、師匠についていってる感じ。
(もしかしたら、ついていけてないのかもしれないけど)

普通、大学院って
1年目は授業中心で、
2年目から本格的に研究に入るっていう感じなんだけど、
うちの師匠はペースが違う。

もう、すでに研究課題も決まって、本格始動してる。
本当に指導熱心なのよ。
感謝感謝で、頭が上がんないくらい。
自分の研究だけでも時間が足りないのに、私の研究にも何時間も付き合ってくれる。
確かに、1つ論文書くっていうことは、
これくらいしなきゃいけないんだなぁーってシミジミ思う。
特に、私には初めてのことばかりなんだもん。
去年やった卒業論文は、お遊びだったって反省しきりよ。

『プチ研究者』への洗礼として、先月英語論文の抄読会の当番が回ってきた。
抄読会っていうのは、当番が論文を読んでまとめてきて、
それについて、あーだこーだと議論する会。
うちの講座の教授2名を始め、助教授1名、助手2名、博士課程1名、修士課程4名が集う。
こんなこと言うのは恥ずかしいけど、
日本語の文献もろくに読めないのに、いきなり英語だよ。
そりゃそりゃ悪戦苦闘しましたよ。
仕事しながら、授業受けながら準備しなきゃいけない。
2週間ばかりは英語漬けの毎日だったよ(涙)

そしてさぁ、ショックなことに、
私が何百回と辞書を引きながらまとめた英語の論文を、
うちの師匠は、1回も辞書を引かずに、
もちろん、私以上に論点を理解してるわけ。
これには、まいった。
実力の差というか、基礎学力の差を見せ付けられたね。

この前、やっと私の当番が終わったと思いきや、
また7月1日には順番が回ってくるんだよね。
はぁ〜〜〜〜〜、ため息が出るわ。
でも、頑張る。
好きで選んだ道だもん。

先生の期待に答えているとは到底思えないけど、
私なりに、ゴールの見えないこの道をてくてく歩いていこうと思う。

人間、勉強することも、たまには大切よね。
今まで、さぼってきたツケが回ってきたと四苦八苦しながら、
どうにか、2年間乗り切ろうと思う。

こんな私だけど、皆さん、応援しててね。





千里の道も一歩から (訪問看護師編)
Date: 2005-05-04 (Wed)

訪問看護師と大学院生という二足のわらじを履く生活。

気づけば、もう5月!
アッという間に、1ヶ月が過ぎてしまった。

なんかわかんないけど、とにかく忙しい。
昼間は、週3回訪問看護ステーションで、非常勤の看護師をしてる。
ワクワクドキドキの新人訪問看護師生活。

私が働いている職場について、ちょっと説明を。
うちの訪問看護ステーションは、所長(看護師)1名・常勤看護師4名・非常勤看護師2名。
それと、居宅支援事業所も併設してて、介護保険関係のケアマネージャが1名。
この8人のメンバーの中で、私が最年少者。
33歳の新人っていうのも、この訪問看護の世界では珍しくない。
なぜなら、患者さんの家に1人で訪問してケアしなきゃいけないわけで、
それなりに病院で経験を積んだ人じゃないと、技術的に無理なの。
建物は、洋風平屋の一戸建てで、去年の11月にオープンしたばっかりだからピカピカ。

隣に、同じ系列の在宅医療クリニックがあり、医師2名・事務3名がいる。
クリニックといっても訪問診療専門なので、こちらも一戸建て。
どちらも、建売住宅をそのまま使ってるから、
外見からはクリニック・訪問看護ステーションってわかんない。
(一応、看板は出てます)

隣のクリニックにかかっている患者約100名の内、30名がうちの訪問看護の対象者。
ほとんどが介護保険がらみの高齢者だけど、ガンの末期の人や、難病の人なんかもいる。

まあ、どんなことをやっているのか、1日の業務の流れを紹介しましょう。

8:30 カンファレンススタート
    (医師も含めて、患者さんについてディスカッション・業務連絡をする)
9:00 本日訪問する患者さんの情報収集
    (電子カルテを使用してるから、パソコンからの情報収集)
9:30 軽自動車に乗って、訪問看護に出発!
    (半径10キロ以内が対象なので車は必需品です)
10:00 患者さん宅に到着(午前1〜2件)
    (やることは、いろいろ。
     絶対やるのは、体温・脈・呼吸などの全身状態を観察すること。
     他には、入浴介助・床づれの処置・吸引・リハビリ・傷の処置etc.)
12:30 訪問看護ステーションに戻って昼食。
13:30 訪問看護に出発(午後1〜2件)
    訪問から帰ってきたら、記録を書く。
17:30 業務終了
    (なんだけど、30分〜1時間は残業する)


仕事で悪戦苦闘してるのは『家を覚えること』と『電子カルテ』

なんせ、私、鹿児島の人間じゃないじゃない?
場所を言われても、ちんぷんかんぷんなのよ。
初めは、一緒に行ってくれるんだけど、2回目からは1人。
方向音痴の私が、1回で道を覚えれるはずないじゃんよぉ。
特に困るのは、山の中のお家。
目印がない(泣)
それに、私って、運転嫌いなんだよね。
でも、そんなことは言ってられない。
うちの所長は「私って、タクシーの運転手できると思うよ。」って豪語するくらい道に詳しい。
何年後かは、そんな風になるのかなぁ・・・。

『電子カルテ』も、癖もんよ。
手順を覚えなきゃ、記録も書けやしないよ(ため息)
文字を打つのはチャットで鍛えられてるから問題ないけどさー、
機械音痴の私は、なかなか操作を覚えられないのよね。

他には、患者さんがわかんない。
クリニックも合わせると100名くらいの患者さんと関わってるのね。
カンファレンスで名前が挙がるんだけど、「それって誰?」って感じ。
1日、多くても4人にしか訪問しないから、頭の中のデーターがなかなか増えないのよねぇ。

制度についても、困ってる。
保険も、医療保険だったり、介護保険だったり。
身体障害者だったり、難病だったり。
それによって、お金の出所が違うの。
だから、ある人はガーゼをこちらから提供して、ある人は自分で買ってもらって・・・
とか、ややこしいのよ。
ぜんぜん、そこんところがわかんない。

病気も多種多様だしさー。
家に行くと、いろんな人間模様があるしさー。

プロフェッショナルな訪問看護師になるには、まだまだ道が長いっす。





サクラサク
Date: 2005-04-07 (Thu)

合格発表は3月29日。
厚生労働省のHPで発表される合格者番号(こんなところにもIT革命が!)を見て、携帯にメールするように、
ネットカフェのない奄美大島に引っ越した友達から頼まれてた。
午後2時から発表だったけど、
混んでいてアクセスしにくいとの情報を得て、
午後3時過ぎに大学の図書館のパソコンに向った。

使わない免許とはいえ、やっぱ受けたからには合格して欲しい。
ドキドキしながらパソコンを立ち上げた。

『国家試験合格者速報』をクリック。
「保健師国家試験」→「受験地 福岡」をクリック。
あぁー、なんか緊張してきた。

えっと、私の受験番号は・・・あった、あった!!!!
友達の受験番号は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ん?ない?!
もう1回確認。
・ ・・やっぱない。
受験番号が間違っているのかもしれない。
電話をかけて確認してみたけど、やっぱ番号がなかった。

よくよく合格者受験番号一覧をみると、結構番号がとんでいる。
その後、教授のところに行くと、
うちの大学で落ちた人は1〜2人ではないようである。
保健師国家試験というのは、元々合格率90%以上ある試験。
確かに今回は、問題の出題と傾向が今までと全然違った。
合格者受験番号一覧で数えると、合格率は70〜80%みたい。
そう考えると、私が受かったのが奇跡のようである。

あとで郵送されてきた合格通知には、131点中79点以上が合格と書いてある。
私は87点。
友達は78点だったらしい。
残念!!!!

ホッと一息、胸をなでおろしながら、
明日、合格通知を持って免許申請にでも行ってこよーーっと。




怒濤の2005年の始まり
Date: 2005-03-28 (Mon)

『みなさん、明けましておめでとうございますっ』
って、桜咲く季節の挨拶じゃないよね。
もう、3月下旬だよ。3月下旬。

今年に入ってからあまりにもたくさんのことが押し寄せてきて、
コラム書かなきゃって、気にはなってたんだけど・・・

まず、妹が新年早々(1月3日)出産。
里帰り出産だったんだけど、妹の面倒をみれそうな人はおらず、その役目が私にまわってきた。
年末年始を「まだか、まだか」と迎え、
1月2日の夜、破水して夜中3時に入院。
出産まで妹と一緒に、時には笑い、時には苦痛で顔をゆがめながら過ごし、
子供が生まれた時は、自分が生んだのかと錯覚するくらいだった。
それにしても、赤ちゃんはかわいい。
妹の子でさえ、こんなにかわいいんだから、自分の子はどんなにかわいいだろうと思う。
2005年の目標は『目指せ、出産!!』
家族の前で宣言したら、全員が鼻で笑った。


1月13日は卒業論文の提出日。
私の研究テーマは、
「在宅ケアにおける家族介護者の不安とリスクの分析」

6人の在宅ケアを行っている患者の家族が対象で、家にお邪魔してインタビューを行った。
インタビュー時間は1〜2時間程度。
これを録音して、家に帰ってテープおこしをした。
この『テープおこし』っつーのがやっかいもんで、
2時間のインタビューを文章化するのに、なんと8時間もかかるのだ。
時間もなかったし、1日8時間ぶっ通しでやってたら、
顔面がヘルペスになってしまった!!!
もっと早くやっとけばいいのに、出来ない性格の私は、
顔面のヘルペスと戦いながら、締め切りぎりぎりセーフで卒論を提出した。


そして、1月25日には、父方の祖父が他界。
最初は祖母が入院するのに付き添って入院(というのもおかしな話だが、社会的入院っていうやつ)したら、前立腺ガンが見つかって、入院後2ヶ月余りで亡くなった。
そのことについては、叔父さんから何にも聞いてなかったし、突然のことでびっくりした。
1月23日は父の命日。
父が迎えに来たのかもしれない。

子供の頃、よく遊んでくれた祖父。
父が亡くなったとき、タクシーで5時間かけてかけつけた祖父。
優しい祖父に、何もしてあげられなかったという後悔が残り、
葬儀の最中、涙でハンカチはぐちゃぐちゃになってしまった。


2月24日は、保健師国家試験。
忙しかった私は全然勉強できず(言い訳)、10日前に初めて問題集を開いた。
聞けば、予備校に通って、夏から勉強してた人もいた。
不安を抱えながら、福岡の某私立大学で試験を受ける。
春になりかけていた鹿児島と違い、福岡は雪が降り出しそうな極寒の天気。
春気分で薄着をしていった私は、暖房もない試験会場で、
友達からもらったカイロを腰に貼って、震えながら受験した。
そして、問題は超難しかった。
もし、このコラムを読んでいる看護学生がいたら、声を大にして言いたい。
「過去問は、あてにならん!!」
勉強したところが、全く出ていなかった。
出題と傾向が、去年までとは全く違っていた。
試験は、マークシート式で4択問題。
合格発表は3月29日。
私の勘は、冴えていたのか否か。
乞うご期待。

それからそれから、
私、今日、大学を卒業しました!!!

長いようで、短いようで、今までの時間の感覚では計れない2年間。
最初は嫌で嫌でしかたがなかったけど、
こうして卒業できて、本当によかったなって思う。

まあ、私にとっては、
この卒業が、新たなる学問への道へのスタートでもあるわけで、
来年から、またハチマキを締めなおして頑張んなきゃなっていう気分。

コラムの更新スピードは遅いけど、『大学院生つね姫』を
これからも、よろしくね!



とりあえず進路決定
Date: 2004-11-02 (Tue)

報告が遅くなりましたが、大学院合格しました。

合格発表があったのは、9月17日。
来年の進路が決まって、ホッとしたっていう気持ちの反面、
本当にこれでよかったのか・・・という疑問も心の中にあったのは確かで、
自分の中に、なんか釈然としないものがあった。

モヤモヤを抱えながら、その日から、私は福岡・東京旅行に出発。
福岡ではテニスサークルの仲間とテニス合宿に参加。
楽しかったし、ここに自分の居場所があると再確認。
そうすると、フツフツと後悔の念が湧き上がってきた。
「本当は、あと半年すると、福岡に帰るつもりだったんよね・・・。
 大学院行くなんて、言わんければよかった・・・。
 あと2年かー。長いなぁー」
なんて、夜空を眺めながら独り言なんか言ってみたりした。

福岡と惜別し、福岡空港から一路羽田空港へ。
4月にも東京に行ったけど、それは『お忍び』だったので、
看護学校の同級生と会うのは、半年ぶり。
彼女らは、相変わらず元気だった。
そして、自分の道を一歩一歩進んでいた。


千葉の公立病院で働いているアヤ。
彼女は2年半前に、双子の女の子を出産した。
2年間の育児休暇の後、仕事に復帰。
看護部長に「楽な勤務場所にお願いします」と直訴していたにもかかわらず、
配属されたのはNICU(新生児集中治療室)だった。
そこは主に未熟児を扱う集中治療室で、小さい子だと1000g以下。
一人で生きていけるようになるまで、この治療室で成長を助けられる。
かなり神経を使う部署だというのは、ICU経験者の私には容易に想像がつく。
職場の人間関係もよくないという。
家に帰ったら、育児が待ってる。
「子供は大っ嫌いよ」と公言していた彼女だが、自分の子供は違うらしい。
家では、ちゃんとお母さんしてた。
もう、双子の騒々しさは想像以上だった。
こっちが「抱っこ」と言えば、こっちも「抱っこ」という。
モノの取り合いで喧嘩するが、同じ力なので決着がつかず、二人とも大泣き。
「これが私の日常よ」と彼女は言う。
育児とは、こんなに凄まじいものなのか。
夜勤もこなしている彼女は、慢性寝不足だというが、
「やっぱり、子供の側にいてあげたいからね」
という笑顔が、彼女が幸福であることを物語っていた。


某国立病院で副師長をしているヨウコ。
彼女は卒業してから、ずっと同じ病院で働いている。
結婚し、子供を1人生んで職場復帰。
都内にマンションを買ったのに、夫が単身赴任することに。
今は、マンションに九州から呼び寄せた自分の両親と、子供と暮らしている。
親を、退職と同時に東京に呼び寄せるなんて、ウルトラC級の荒業。
「だって、子供の面倒みてくれる人がいないと働けないじゃない!」
うん、すごい。あっぱれです。
彼女は中間管理職で、部下のことで悩んでいた。
病院に行きたくなくって、1週間仕事を休んだんだとか。
おいおい・・・。
未だに学生している私には中間管理職の辛さなんて、知る由もないが、
仕事をやってらんないくらい辛かったんだろう。
順風満帆な人生を送っているとばっかり思っていたから、彼女の悩みは意外だった。


都内に一人暮らしする、シングルス仲間のナオ。
彼女は大学病院を辞めてから、クリニック勤務や治験コーディネータなんかを経て、
今は皮膚科クリニックで看護師をしている。
美人さんなんだけど、理想が高いのか、彼氏なし。
遊ぶ友達もいなくなり、最近は暇になると一人で表参道へ自転車で出かけるらしい。
お洒落なカフェに入り、頼むのは「コーヒー」ではなく、「ビール」。
もちろん、真昼間っから。
そんな、あんたが好きだよ(笑)
彼女が「マンション買おうと思うんだよね」と耳打ちする。
あぁぁ、あんたもついに、やっちゃったか。
あれほど、マンションとペットは『行き遅れアイテム』だから、ダメって言ったのに。
「だって、家賃払うより自分のものになるからいいじゃん」と開き直ってた。

オーストラリア留学中の、これまたシングルス仲間のハルに、即効報告する。
プライベートメッセージを二人でやり取りしながら、
「あいつも、とうとう・・・」と、同士のナオをあざ笑う。
でも、二人とも、ふと我に返る。
「ナオも私たちのこと、30歳過ぎて学歴つけてるようじゃ終わりだって、思ってるかもね」
沈黙・・・。
結局、目くそ鼻くそだということを実感。


オーストラリア留学から帰ってきた、トモミ。
日本に帰る気はサラサラなかったが、
オーストラリア人の彼氏が日本に住んでみたいと言い出したんだそう。
「2〜3年の予定で、日本に『出稼ぎ』に来た」と彼女は言う。
帰ってきてから、元働いていた大学病院の、救命救急センターを希望。
なにが楽しくて、一番きつい部署を希望したのか。
私には、理解不能である。
やりたい仕事なんだろうが、夜勤明けで会った彼女は、さすがに疲れきってた。
「飲まなきゃ、やってらんないわよっ」とグイグイ飲んでいた。
「アル中に、ニコチン中毒よ」と、タバコもすぱすぱ吸う。
でも、家はまるでオーストラリア。
彼氏とは英語で話してるし、「ダーリン♪」なんて甘えたりする。
あーあー、ごちそうさま。
今月中旬には入籍するらしい。
おめでとう、トモミ!!


1ヶ月前に男の子を出産したユミのところに、お祝いに行く。
夫が、結婚前に購入したマンションに住んでいるらしい。
マンションに着くと、驚くことに警備員がいた。
警備員がいるのは、珍しくない。
しかし、マンションの1階にではなく、敷地の入り口に門番としているのだ。
さすが、東京。さすが、世田谷。
止まっている車も、すべて高級車。
億ションに違いない、と値踏みする自分がいやらしい。
中に入ると、ヨーロッパ調の家具。
なぜに、金持ちはヨーロッパ調が好きなのか。
それに、大きなプラズマテレビ。
どう考えても、金持ちだ。
自分の貧乏な学生生活と比較すると、悲しくなってくる。
彼女は妊娠時、肝機能が高くて、感染症かと疑われたが、そうではなかった。
毎日、ワインを1本以上飲んでいた彼女は禁酒しても、肝機能が半年間下がらなかったという。
ここにも、アルコール中毒患者が・・・。
今は授乳中なので禁酒しているが、解禁したらガンガン飲んでやると意気込んでいた。


ユミは、残念ながら来られなかったが、
その他は、全員参加でホームグラウンドである歌舞伎町で飲んだ。
店員からは「他のお客様のご迷惑になりますので、お静かに」と注意されても聴く耳持たず、
その後カラオケに行って、朝4時までノリノリで過した。

めちゃめちゃ、楽しかった。
そして、わかった。
同じ看護学校を卒業した友達たち。
昔とちっとも変わらないけど、10年経って、みんな確実に自分の道を歩いてる。
楽しいことばかりじゃなく、楽しくないこともあるけど、頑張ってる。
そんな、みんなの姿を見て、自分が何をしなきゃいけないのか、わかった。
今、自分の目の前に2つの選択肢がある。
自分の道を歩むのならば、大学院に行った方がいい。
こっちへ、一歩踏み出そう。

鹿児島への帰路に、もう迷いはなかった。
あと、2年。
鹿児島よ、よろしくお願いします。




 



受験生の暑い夏、ふたたび
Date: 2004-08-02 (Mon)

私、大学院を受験することに決めた。

1ヶ月前までは、全然そんなこと考えてなかった。

もう、学生は懲り懲りだと思ってた。
仕事を辞めて、もう2年になる。
早く、仕事がしたかった。
そして、早く、福岡に帰りたかった。

そんな私を変えたきっかけは、助教授の言葉。
「うちの研究室に入らない?」

えっ?!
それって、私におっしゃってるんですよね?
鹿児島に、更に2年いろとおっしゃるの?
無理。絶対、無理です!!

最初言われた時は、速攻で断った。
もちろん、私はその助教授が好きだし、
私がやりたい分野を専門にやっている人だし、
とっても魅力的。

で、でもね、私に鹿児島はこれ以上無理。
去年、来たばっかりの頃から、私はうつ状態だった。
『適応障害』
そう、雅子様の病名と同じだと自己診断する。
原因ははっきりしないけど、やっぱり私と鹿児島は合わない。
1年間よく頑張ったと自分を自分で誉めてあげる。
鹿児島も、ラストスパート。
最近、将来の明るい兆しが見えてきたところだった。

そんな矢先の、助教授のお誘い。
更に、助教授とサシで5時間話をした。
研究のことだけでなく、色々な話。
最後には「大学院受けさせていただきます」と言っている自分がいた。

本当に、それでいいの????

本格的に悩んだのは、それからだった。
ありとあらゆる人に相談した。
大学院の試験は、9月2日。
ゆっくり悩んでいる時間はない。

決定打をくれたのは、看護学校時代からの友人。
彼女とは、かれこれ13年の付き合いになる。
人生の分かれ道に立った時、いつも相談してきた。
彼女は、私の人生の羅針盤ともいえる人物。

「福岡に帰りたい?
 いつだって帰れるじゃない。
 仕事したい?
 たった2年の辛抱じゃない。
 そろそろ結婚したい?
 大学院いかなかったら結婚できるの?
 そんな保証はないでしょ。
 だいたいねぇ、快楽を求めすぎよ。
 今は勉強する時なのよ。
 そんな先生と巡り合えてラッキーじゃない。
 チャンスをみすみす逃すことはないわよ。
 あなたがね、大学院に半年行って、
 やっぱりダメだっていうんだったら
 そん時、私は止めないわよ。
 まずは、やってみなさいよ。
 それから考えたって遅くないわよ。」

その通りでございます。

ということで、大学院をうけることにした。
9月2日といえば、たった1ヶ月しかない。
助教授は
「勉強はしなくていいから。
 体調さえ、整えてくれれば・・・ねっ」
って微笑むけど、そんなことはないっしょ?

かくして、再び受験生となった私。
専門教科・英語・小論文・面接。
あぁ〜、頭が痛い夏の始まりです(涙)





こちら、救護班!!
Date: 2004-07-26 (Mon)

夏休みに突入しました。
7月から9月まで、3ヶ月の夏休み。
「学生さんはいいよねぇ」なんて声が聞こえてきそうだけど、学生さんも暇じゃない。
そう、学校が休みの今が、稼ぎ時。

基本的には、前に書いたように、病院で夜勤バイトをしてる。
その他に、臨時で救護班のバイトっていうのがある。
これは、看護協会のナースバンクっていうのに登録してて、なにかイベントがある場合に召集されるもの。
鹿児島に来て、2回救護班バイトに行った。


初回は、ゴールデンウィーク。
『帆船フェスタ』っていうのが、鹿児島埠頭で開催されて、その救護班バイト。
主催している県庁から依頼がある。
5月3〜5日まで、日当1万円。
実行委員会本部っていうところで待機して、体調が悪くなった人の処置をする。
家族連れで賑わうなか、テント下で患者さんを待つ。
血圧計、体温計、医薬品など、設備は学校の保健室レベル。
でも、何があるかわからない。
心臓マッサージや、マウストウマウスなどの応急処置が必要になるかもしれない。
一応、心の準備だけはしておく。

しかし、そんなに怪我人・病人は現れてくれない。
暇な時間は、パンフレットを配ったり、スタンプラリーの景品交換を手伝ったりした。
結局、3日間で来た人は、3人。
包丁で手を切った女の子、転んで膝を擦りむいたおばさん、足にマメが出来てバンドエイドを貰いに来た人。


今日は、2回目の救護班バイトに行ってきた。
『ウォターフロントフェスティバル』で「1万人クルーズ」というのが企画されていて、巡視船に乗って救護にあたる。
主催は海上保安庁。
自慢じゃないが、私は盆地生まれ。
海には、あまり馴染みがない。
約1時間のクルージングに2回搭乗する。
私こそ、船酔い、大丈夫かしら???

一応、船酔い止めの薬は飲んでおいた。
救護室は、意外に物が揃っていた。
4畳半くらいの広さにベット・酸素ボンベ・心電図・血圧計・医薬品の棚がある。
冷蔵庫もあって、熱中症で運ばれてくる人の為に、アイスノン・おしぼり・ポカリスエットなども準備してある。

一回に乗船する人は、約1000人。
錦江湾で、ヘリコブターで船から救助される訓練や、空砲射撃の練習を見学する。
今日はメチャメチャ天気がよくて、暑かった。
気分が悪くなる人がでることが予想されたが、幸いにもそんな人は現れなかった。
今日は、足を擦りむいた女の子1名に消毒とカットバンを貼っただけ。
楽といえば、楽な仕事である。
いつも、何が起こるかわからないという緊張感とは隣り合わせだけど。

他の時間は、私を担当してくれた係長さんが、私の小・中・高校の先輩だとわかって、地元話に花が咲いた。
私の未知の世界である、海上保安庁の仕事についても色々話をした。

2年前、北朝鮮の工作船と銃撃戦をしたのが、この第十管区保安局である。
鹿児島では昔、海岸で北朝鮮に拉致された人もでている。
地理的にも近いことから、警備体制は厳重にしているということであった。

他に、海上保安官になるには?
どんな仕事をしてるのか?
看護師も1名いるらしいが、仕事内容は?・・・など、いろいろ聞いた。

私は、泳げないし、日焼けするのは嫌だし、海にはあまり近寄らないで生きてきた。
でも、海もいいなぁ〜なんて思う、救護班バイトだった。

次の週末は、映画「海猿」でも観にいってみようかな。





保健所実習日誌B
Date: 2004-07-06 (Tue)

今回が、最終回です。

やっと、保健所実習が終った。
久しぶりの実習。ホント、きつかった。
日中は体力使うことなんて全然してないのに、家に帰ると身体が重くて何もしたくなくなる。
こんな私でも、気疲れしてたのかしら?
書きたいことは色々あるけど、実習が終ったと同時に、このシリーズも終わりにしたい。
うん、もう保健所はお腹いっぱい。
さっさと書いて、さっさと終っちゃおう。

保健師という仕事を3週間みてきたけど、やっぱり最後まで魅力的には感じられなかった。
まず、あのゆったりした雰囲気が、私には合わない。
保健師さんの口癖は「忙しい」だったけど、それで5時定時に帰れればいいじゃないかと思った。
公務員の仕事は楽でいいよ。

今回一番学んだのは、保健所とは何か・・・ではなく、『指導者』についてだった。
良い指導者と、悪い指導者の両極端をみて、色々考えさせられた。


まず、悪い例から。
保健センターの学生担当指導者の保健師は2名。
その中の1名は、保健師になって5年目の私より年下の保健師。

先制攻撃は、
「私は保健師専攻科卒業なので、みなさんより頭が悪いですけど」
「(私に向かって)あなたは、臨床を経験してらっしゃるから・・・ねぇ」
という、嫌味100%の態度だった。

なんじゃこいつ?

それから、ことあるごとにネチネチ嫌味を言われ続けた。
その上、プライドは人一倍高い。
「保健師の仕事は、もっと広くて奥の深い仕事だと思ってます」
「あなたの家庭訪問の問題の捉え方は、狭すぎます。私たちは、ただのチェックマンじゃない。在宅ケアに就職希望だったら、なんのための保健師の訪問かを考えて欲しいと思います」

・・・あんたに言われたくはないよ。

だいたい、この保健師、自分の仕事に誇りを持ちすぎてるあまりに、周りが全然見えてない。
彼女にとって、この仕事はやりがいのある仕事かもしれない。
でも、私は、自分の仕事の可能性や、いい面ばかりを見るんではなく、
自分や、自分自身の仕事の限界を知ることも大切なことだと思う。

だいたい、『健康』ってなに?
これをすれば、万人が健康になるっていう魔法は存在しない。
実際、ヘビースモーカーでも長生きする人は長生きする。
うちのお母さんみたいに、健康に気をつかっていても、死ぬ時は死ぬ。
健康とは、平等に与えられるものじゃなくって、不平等なもんだっていう認識がまず必要だと思う。

そういう、不平等な健康をどう扱っていくのか。
保健師一人ができる活動なんて、たかが知れてる。
その、たかが知れてる部分で、自分が出来ることを精一杯やる。
不可能かもしれないけど、可能にできないか挑戦してみる。
それが、プロの道だと私は思ってる。
そういう、謙虚な気持ちで活動しないと、この先、伸びないよ。
4年も同じ仕事やってて気づかないなんて、あなたこそ大丈夫?って感じ。
学生を指導する前に、己を振り返るべし。


反対に、指導者のいい例というのは、何回も出てきているうちの担当助教授。
実習最終日の彼女の言葉、
「ホントに、みんな頑張ったと思うよ。お疲れ様。
 6人のメンバーひとりひとりの能力が高くって、私自身助けられた感じです。
 最後に、みんなにありがとうとお礼を言いたい。」

この言葉を聞いて、涙が出そうになった。
誉められたからではない。
指導者として、こんな言葉を言えるってこと自体が素晴しいと思ったから。

だって、この助教授、5月にカナダから帰ってきたばっかなんだよ。
それも、初めての土地で、赴任そうそう実習指導なんかさせられちゃって。
毎日記録を見たり、アドバイスしたり、帰るのは夜遅くなってから。
家では、旦那と子供が待ってるというのに。
頑張ったのは、私たちじゃない。
助教授あなたですよ、と言いたかった。

私は自分がいっぱいいっぱいの時、周りに気を使えなくなる。
言葉がきつくなったり、投げやりになったりする。
そんな時、自分の未熟さを痛感しながらも、どうすることも出来ない。
この助教授には、頭が上がらないなぁ〜と思った。
そして、自分も彼女に一歩でも近づけるように頑張んなきゃと思った。

たぶん、仕事を長く続けていくと、いつかは自分が指導者となる日がくるだろう。
そんな時、やっぱり慕われるような指導者になりたい。
まだまだ、修行が足りないなと自覚した実習でもあった。


それと、10歳も歳が離れた子、5人と3週間過ごして、色々見えてくるものもあった。
まず、みんなしっかりしてる。
別の言葉で言うと、真面目。
これは、たぶん土地柄にもよると思う。
助教授とも話したんだけど、東京の学生は手抜きの仕方を知ってる。
看護学生時代は、私だけではなく、友達も手抜きし放題だった。
たぶん、3週間の実習なら、1日か2日は休んでただろう。
今回は、私を含めて6人とも皆勤賞。
それだけでも、偉いよ。

仕事に対する考え方も真面目。
1年前くらいに、講義の最中に「結婚しても、子供を産んでも、仕事を続けたいと思う人」という質問に、8〜9割の人が手を挙げていた。
これには、私もびっくり。
私は今でこそ、一生この仕事を続けていきたいと思ってるけど、看護学生時代は全くそうは思ってなかった。
これは、時代の変化かもしれないとも思った。
一生仕事を続けることが、当たり前の時代となってきているのかもしれない。

それだけに、就職先については、最近みんな色々悩んでいる。
特に今回一緒の5人は、キャリア志向が強い。
仕事を、極めたい感じ。
あんた達なら、どこの病院でも通用するよ。
こんな子達が、日本の医療を支えていってくれると、この業界の将来は安泰だ。

私も、そろそろ就職活動しなきゃいけないんだけどねぇ。

これから、7〜9月まで、ずっと夏休み。
今度は、バイトと卒論にあけくれる日々が始まる。





保健所実習日誌A
Date: 2004-06-30 (Wed)

今日は、一番悩まされた『健康教育』について書こうと思う。

3週間の実習で、1人30分の健康教育を行わなくてはいけない。
行う場所・テーマは、自分で決めていい。
私は、「お達者クラブ」で腰痛体操をすることに決めた。

まず、この「お達者クラブ」とは何かというと・・・
読んで字のごとく、「達者な人が集まるところ」という意味。

日本で、高齢化は急速に進んでいる。
2000年から始まった介護保険も、利用する人はウナギ上り。
財政は、火の車である。
どうにかせんといかん、ということで、
政府は現在40歳以上から徴収している保険料を、20歳以上から徴収しようとする案を出している。
まあ、この案は、遠くない将来に実現されると思う。
その一方で、少子化もまた、どんどん進んでいってる。
いくら20歳から保険料を徴収したって、
介護保険を利用する人がそれ以上多くなれば、どうすることもできない。

じゃあ、どうしたらいいか。
政府の政策として、「元気なお年寄りを増やそう計画」を展開している。
「健康寿命」って、聞いたことないかな?
病院にお世話にならず、健康で自立した期間(=寿命)のこと。
これからは、健康なお年寄りを、どれだけ病気にさせないかが勝負となる。

ということで鹿児島市が考えたのが、「お達者クラブ」
難しく言うと、介護予防のための地域参加型機能訓練。
毎日をいきいきと生きがいをもって暮らせるよう、地域の人々の協力を得ながら、元気な仲間づくりを行っていこうという主旨。
対象者は、65歳以上の介護保険を使ってない人。
具体的には、公民館に月2回集まって、
血圧を測ったり、体操をしたり、ちぎり絵をしたり、園芸をしたり、健康に関する講義を受けたり、様々。
今の時期は、七夕祭りが企画されていたりした。
てっとり早く言うと、老人の学校みたいなもんかな?
参加することに、意義がある。

そう、そんなところで健康教育を行うことになった。
私は単純に、老人=腰が痛い=腰痛体操、
と、すぐにテーマは「心も身体もリフレッシュ、腰痛体操」に決まった。
他の友達も、「ボケ防止」「笑いの効用」「脱水予防」とか、いかにも老人向けのテーマを決めてた。

講義内容は3部構成にした。
1、 なぜ腰痛は起こるのか
2、 日常生活上の注意点
3、 腰痛体操

図書館から5冊本を借りて、健康教育指導案をA4用紙8枚にまとめた。
これだけでも、私的には必要以上に頑張ったなと自負していたのに、
うちのデキる助教授は
「内容はとってもいいよ。
でも、この日常生活の注意点のところさぁ、実際にやってみせた方がいいよね。
箱の持ち方・皿の洗い方・掃除機のかけ方を実際に見せた方が、絶対頭に残るって。
それから、背骨の絵も模造紙に書いた方がいいねぇ。
体操は、スカートの人もいるかもしれないから、立ってできるものがいいよね。」

ハイ、わかりました。
やらせていただきます。
ホントは、手をかけたくないから、腰痛体操選んだのに・・・。
模造紙なんて、小学校以来だよ。
必要物品も多いから、持って行くのも大変だ。

その後、健康教育指導案を練り直すこと、3回。
助教授と、担当保健師の前でデモストレーション2回。

前日に、ダメ出しくらって、凹みながら、
ひとりぼっちの自宅で、
「みなさん、こんにちは!!」
「はい、では、やってはいけない掃除機のかけ方をやりますねぇ。」
「次の体操は、太ももの筋肉を鍛える体操です。では、みなさんでやってみましょう」
と、元気に練習する私は、ネタ合わせのお笑い芸人のようだった。

健康教育当日、公民館には20名程のお年寄りが集まってくれた。
うなずいて聞いてくれたり、質問に大きな声で答えてくれたり、真剣に体操をしてくれたり・・・
私が健康教育をしてるというよりは、協力していただいているという感じだった。
本当に、感謝感謝。

終った後は、家で採れた野菜を使った料理でもてなしてくれた。
本当は実習中だし、食べてはいけないんだろうけど、
保健師さんと一緒に、ご馳走になった。

なんだか、慣れない人が来た時の接し方や、もてなしの仕方など、
教えるよりも、教えられることが多い健康教育であった。

なにはともあれ、終って一安心である。





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