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コラム tomoの「やみかるて」

気鋭の医師がつづる職場のお話・・・
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教える方と教えられる方と
Date: 2004-06-27 (Sun)

何事もなかったかのように書き始めますが、
これからも、忘れた頃にやってくる天災のようなコラムとして、
どうかひとつ。

昨年8月からまた救急に携わっているわけですが、
研修だ学会だ当直だと楽しく忙しく日々を送っておるようなわけで。
書く事はたくさんあるんでごぜえますが、
こいつがまあ、ため込むばかりで、へへっ。

気を取り直して。

このところ医学教育界を含め、救急界(?)で流行っているもののひとつに、
ACLSというのがある。
(どうでもいいけど、こんな言い方しちゃっていいんだろうか。
 「卒然卒後教育を含め、医療の現場でトピックとなる命題のひとつにACLSがある」
 とか言ったほうがいいんだろうか。
 でもそんな文体で書き続ける事は今のわたしには不可能なので、
 これでいきます。
 なぜ不可能かというとひさしぶりにのんでいい気分だから)
Advanced Cardiovascular Life Support、心肺蘇生法のことだ。
いわゆる心臓マッサージと人工呼吸のことはBLS、Basic Life Supportという。
2000年にAmerican Heart Association(AHA)という学会が、
心肺蘇生法のガイドラインの新しいやつを出し、
これがまたいわゆるEvidence Based Medicineに乗っ取って作られており、
これに沿った心肺蘇生を普及させようと、
医師、看護師、救急救命士といった人々を対象に、
全国各地でコースが開催されているのである。
AHAコースとnon-AHAコースをめぐるごたごたとか、
いろいろあってるけど言わないけど(言ってるやん)、
まあ、そういうわけで、わたしもこの2日間コースを受けて、
その後インストラクターとしていろいろやってるわけです。
ここまで前ふりです。

2日間コースというのは、
1日目が講義と気管挿管、モニターの見方、
除細動(いわゆる電気ショック)、心停止のアルゴリズム。
2日目が不整脈のアルゴリズムと1日目の復習、午後からテスト。
そう、このコースは合否があるのである。
脈も触れるし呼吸もできる人形を使って、
実際の患者さんに接するように、テストは実技形式で行われる。
患者さん急変

人を呼ぶ、物を集める

心肺停止を確認して人工呼吸と心臓マッサージ

人が集まる、モニター装着、心電図確認

心電図によってそのアルゴリズムで治療開始
除細動、挿管、薬剤投与など

正しくいけば患者さんは息を吹き返す

よかったよかった

ただし、落ちても同日に再試験が可能で、たいてい3回くらい受ければ皆通る。

しかし、合否があるというプレッシャーが織りなす悲喜こもごもが、
ACLSコースに毎度毎度さまざまなエピソードを提供してくれる。
これが次回へと語り継がれて伝言ゲーム状態となり、
さらに受講者のプレッシャーに拍車をかける。
回を追うごとに、マニアックなまでに微に入り細にわたって、
予習問題や実技試験用のシナリオを作成する部長の功績(?)もあるかも。
「あの先生のブースは厳しいらしい」
「あの先生のブースではひっかけ問題が出る」
わたしのブースでは「なんかいたずらされる」という根も葉もない噂が。

予習は必至であり、
コース数日前に、病棟のあちこちで、
「誰か3人来てください」(これを言わなきゃ始まらない)
「エピネフリンを1mg静注してこれを3分ごとに繰り返してください、
 最初の投与後1分たったら教えてください」(舌をかむ)
「この方、体重は何キロですか」
と、うつろな目つきでつぶやいてる人をみたら受講者と思って間違いない。

かくして迎える当日。
これ、はっきりいって受講者よりインストのほうがきつい。
しゃべりっぱなし、受講生の間違いを見落とせないので気を抜けず、
へこませないようにへこませないように、
1つのnegative feedbackにはかならずpositive feedbackを組み合わせて。
もうほめる所が見つからない時に、
「姿勢がいい」などとわけのわからないところをほめてみたり。
最近はかなり上の先生方も受講されるようになったので、
わたしよりずうっと上の先生に「あ、それ、違う・・・」というストレスも。
緊張したひとりの受講生が、
口がまめらずに「人工マッサージ」って言ったのが皆に感染し、
わかってるのに訂正するのも気の毒で、そのまま押し通してしまったこともあった。

あと、なぜかコース開催中に必ず院内心肺停止(ずうっと昔に書いた「ハリーコール」)とか、
救急車で運ばれてくる心肺停止とかがあって、
いつもの倍以上の医療従事者が現場に駆けつける。
こないだはハリーコールがかかったとたんに、
4つある各ブースから一気に除細動器が現場へ運ばれて、なかなか壮観であった。
(こういうとき、船頭多くして船が山に登りっぱなしにならないようにリーダーを決めるのも大事)

困るのは、コースが終わった後にも変な口調が後を引き、
打ち上げの飲み会で、店の姉ちゃんを呼ぶのに、
「誰か3人来て下さい」
などと言ってしまったりすること。

患者さんの急変にあわてず適切な対応ができるし、
医療従事者の中でも異業種が集まって一緒に受講する事で、
救命士さんの、大きな声で自分が何をしてるのか周知すること、とか、
看護師さんの細やかな声かけ、とか、
それぞれが自分の仕事にない発見をしたりして、
それもまた楽しいコースなので、
医療従事者の方はぜひ一度。

来週は教える方。
再来週は本場のコースを受講しに行ってきます。
ひさびさの受講する立場にてんぱっている今日この頃。



売店の謎
Date: 2003-07-05 (Sat)

大学生活もあと1ヶ月を切り、(あ、わたし、8月からまた救命センターに行きます(業務連絡))
あとはのんびりと日々を過ごすのみ・・・

と思っていたが、
嫌がらせのように最後の最後まで当直を入れられて、
無能な上司(あ、言っちゃった)と、
史上最高(低?)の腐った研修医(ああ、考えるのもやだ)の、
尻ぬぐいの日々を送っております。

せめてもの3食のごはん(&酒)くらいが楽しみなのだが、
ここで今週1週間の食生活を振り返ってみましょう。

月 朝 薄切りのドイツパン1切れ キウイ1個 牛乳 紅茶
  昼 なんか食べる気がしなくてポカリスエット
  夜 急に熱が出て、当直変わってもらって帰って、
    すぐ寝ちゃったのでなし

火 朝 ロキソニン(消炎鎮痛剤)1錠 水 アクエリアス
    (朝起きたら天井がまわっててえらく頭が痛かった)
  昼 熱が下がったので、午後から外の病院の外来に行く途中でオムライス
  夜 北海道みやげにもらった塩ラーメンにレタスとトウモロコシを入れて

水 朝 売店でサンドイッチとレモリアを買い、外来前に診察室で食う
  昼 3時頃売店に行ったら弁当は売り切れ、Gootaの雲呑担々麺
  夜 帰ったら日が変わってたので、レタスとゆでたまごでサラダにしてビール

木 朝 牛乳 クラッカーにチーズのせて3枚
  昼 2時半頃売店に行ったら弁当は売り切れ、赤玉とんこつと野菜ジュース
  夜 大学近くの黒豚&焼酎居酒屋でビール1杯、芋焼酎半分、
    塩焼きと冷しゃぶサラダと角煮と味噌焼きおにぎり

金 朝 牛乳 こないだもらったわさびクラッカーというやつを、
    1枚食べて鼻から火を吹いてやめた  
  昼 3時半頃売店に行ったら(以下略)大砲ラーメンと野菜ジュース
  夜 病棟の歓送迎会でビール半分
    (飲んだところで呼ばれて帰ってきた)

さて。言いたいことはいろいろおありでしょうが。

ここで水・木・金の昼に注目してください。
うちの売店は不親切・高い・品揃え貧困なことで有名なのだが、
なぜかカップ麺だけが異様に充実しているのである。
新製品はCMになる前に並ぶし、ラインナップの入れ替えも早い。  
コンビニの棚ひとつ分は余裕である。
そこらへんのでかいスーパーにもここまではなかった。
弁当を少な目に仕入れておいて、
足りない分は日持ちのするカップ麺を常備するというのは、
たいへん合理的な経営方針であるとは思うのだが、
それにしてもなぜ。
機会があればレジで尋ねてみたい。

ちなみにこのところのお勧めは、「Gootaの雲呑担々麺」と、
「気合いを入れて作った焼き野菜ラーメン」です。



SARS
Date: 2003-05-30 (Fri)

完全に月1ペースになっています。

いや、もうねえ、この2週間くらい、なんだかうざいことが多くって。

帰ってきてから無事10日が過ぎ、SARSの疑いも晴れましたので、
ちょっと書きます。
この数日、またカナダでSARSが大発生してるみたい。
今行ってたら、確実に帰って来れないね。

というわけで、
こののどかな田舎でも、
SARS患者が発生したときの為の対策を立てることになりました。
今日はそのシュミレーション。
患者さんが病院玄関にやって来たときすぐわかるように、
大きなポスターを貼り、まず正面玄関からは入らないようにする。
(周囲への感染を防ぐため)
玄関脇のマスクをつけてから、救急外来の入り口に回ってもらい、
入り口の横の大きな窓にスロープをつけて、そこから入り、
(窓と言ってもわたしが背をかがめないで入れる大きさ)
入ってすぐの個室に隔離して診察をする。
必要ならば室内でレントゲンを撮る。
この機械はSARS専用にして、その部屋からは決して出さない。
採血の検体は手袋をした手で受け取って、裏の階段を使って検査室まで運ぶ。
診察をする医師は、患者さんが来たという第一報を受けると同時に、
感染防禦衣(帽子つきサウナスーツみたいなやつ)に着替え、
N95マスクとゴーグルとフェイスシールド、手袋を2枚重ねに足袋をつけて、診察室に入る。
診察終了後、普通にばっさばっさこれを脱ぐと、
防禦衣の外側に付いたウィルスで汚染されるので、
素手で触れないように外側へ外側へぐるぐるまるめて脱がなきゃいけない。
サウナスーツをこうやって脱ぐのは1人じゃ無理なので、介助者が必要。
介助した人が感染してはいけないので、
その人も、ある程度の感染防禦衣を着なくちゃいけない。

このあたりから皆様の意見の食い違いがでてきた。
手足は完全に覆えるけど、顔はマスクとゴーグルとフェイスシールドでいいのか。
バイオテロの防毒マスクみたいなやつが良くないか。
介助する人の「ある程度の」防禦衣っていうのは、どの程度なのか。
診察した医師、介助した人、レントゲンを撮った技師さんは、当日家に帰っていいのか。
10日は業務停止して、隔離しないといけないのでは?
で、誰が診るの?

お偉いがたの議論の間中、
なぜか、「たまたま外来にいて診察している医師」という役になり、
ガシャガシャ素材のサウナスーツにガンダムのような足袋、
数十秒で曇るゴーグルにまともに息のできないN95マスク、
その上にフェイスシールドをかぶせて、2枚重ねの手袋をつけて、
すでに30分経過しているわたしは、もうふらふら。
さらに防毒マスクとN95をとっかえひっかえかぶらされたりして、呼吸もままならず。
患者に接して汚染されてる役なので、
防禦衣を脱ぐのもシュミレーションのひとつと言われ、あ〜だこ〜だ言われながら脱ぐ。
脱ぎ終わると暑さと汗で倒れそうになってた。

今のわたしの心配は、
誰が診るかということより、
(んなもん、わたしが診るさ)
この格好で30分、まともに診療できんばい?ということだ。
肺炎がはっきりしたら、その患者さんをちゃんと病室へ収容し、
治療を開始するまでこのサウナスーツは脱げない。
顔をぴっちり覆われるので、隙間からストローを入れて水を飲む、っちゅうこともできない。

で、今考えてる手順は、

とりあえず、SARS疑いの患者さんが来たら、
1、まずポカリの500mlを買いに走って、
2、ラッパ飲みしながらトイレに行ってから、
3、サウナスーツとマスクの防禦体制を取り、診療に入る。
4、医局には常に2〜3日分の下着と洗面道具をキープ。
  (家に帰れなくなるから)

なんか、まぬけですかね。







案の定
Date: 2003-04-26 (Sat)

去年の話がまだぜんぜん終わってないというのに、
しあさってからSARSで話題のカナダに行ってきます。
とはいってもトロントではないので肺炎にはなりません。たぶん。
国際学会デビューです。どこで何が間違ったんでしょう。

問題はまだ原稿ができあがってないことです。
まあ、いつものことです。

もうひとつ問題があります。
スーツケースが壊れてます。
まあ、なんとかなるでしょう。

あとひとつ問題があります。
飛行機のチケットがまだ届いていません。
・・・う〜ん。



アメリカのつづき
Date: 2003-03-29 (Sat)

続きを書くのもおこがましいほどに間が開いてしまいましたが、
乗りかかった船です、沈むまでおつきあいください。

例によって例のごとく、出発前々日まで当直。
もう待ったなしの前夜には、
壮行会を開いてくれるという友人方のあたたかいお心を断りきれず、
ちょいと1杯のつもりで飲んで、いつのまにやら時計は0時を回り。
い〜い感じでけたけた笑いながら、1か月分の着替えを詰めて、
ふたを閉めかけたスーツケースの上で眠り込み。
7時に起きて真っ青になって、「ぐわあ〜」言いながら荷物を詰めなおして、
(なぜだかしらんが、卒業アルバムやら携帯電話の充電器やらが入っていた)
なんとか飛び出した。
成田直行便は時間が合わず、羽田→成田間を自力で移動。
これがまた、なかなかシビアなスケジュールになっており、
なんちゃらエキスプレスまで後2分、というところで駅のホームについてほっとしたものの、
2分でくるはずのなんちゃらエキスプレスが来やしねえ。
これはわたしのやってることだ、きっとホームを間違えたに違いない、と青くなっていたら、
アナウンスが流れた。
「列車事故で遅れます。」
あ〜、そうか。なんだ、わたしの間違いじゃなかったのね。よかったよかった・・・って、
遅れてもろたら困るやん!!!
かくして成田に駆け込み、なんとかチェックイン、セーフ。
飛行機に乗ってドリンクサービスが始まったとたん、
何かがぶち切れ、ワインを1本飲んだ後は泥のように眠りについた。

目が覚めたらサンフランシスコ国際空港。
ここには、サンタローザの先生が迎えに来てくれているはず。
はず。
はず・・・・・いない。
とりあえず両替し、先生のオフィスに電話をかけてみる。
この先生はうちの大学に2年もいたくせに日本語がほとんど喋れないらしい。
ということはいきなり英語。しかも電話で英語。
いやああああああああああああああああああああああ。

「あ〜、日本から来た○○ですう」
「あ〜、ドクターはいないわよ。今日は休暇でお孫さんに会いに行ってるわ」
・・・・なにい?!
「今どこ?空港?じゃあバスに乗ってサンタローザまでいらっしゃい。
着いたらホストファミリーの家に電話して迎えに来てもらいなさい」
げ。となって逆上したわたしは、
「わかりました、ではドクターによろしくお伝えください」
と言いたいつもりが、
「わかりました、ではドクターにごきげんいかがとお伝えください」
と言ったような言わなかったような。

高速バスを見つけ、ごんごん揺られて1時間。
やっとサンタローザのバスターミナルに着いたら、
もう昼近いうららかな春の日差しが、腫れた目にしみる。
もうなけなしのクオーターでホストファミリーの家に電話をかける。

ホストはデビーという1年目の研修医。
1年目といっても向こうの教育システム上、年齢はわたしと同じである。
ブライアンというだんな様がおり、
つまり新婚1年目、らぶらぶのご家庭にお邪魔してしまうわけだ。
いきなりブライアンが電話に出た。
「今バスターミナルに着きました」
「あ〜、デビーは病院に呼ばれて行っちゃったんで、僕が迎えに行くよ。どこのバスターミナル?」
どこて言われても。そんなにたくさんバスターミナルがあるのか?この町には。
「あ〜、空港バスのターミナルなんすけど・・・」
「たぶんわかるから10分待ってて」

スーツケースに腰掛けて、とろとろと眠りにおちようとした瞬間、
目の前にホンダのワゴンが停まった。
そしてそして。出てきたのは。
どこまでもひょろりと背の高い、青白くてメガネをかけた、インテリっぽい外人。
あまりの背の高さ、ひょろ長さにおののいてしまい、
(なんせ175cmのわたしの頭が彼の肩に届くかどうか)
ああ、いかんいかん、ここじゃあわたしが外人だなあ、と改めて思いつつ、お宅に向かう。
ついた家がまたすごかった。
平屋とはいえ庭付きガレージつき1戸建て、
20畳くらいの暖炉つきリビングと、20畳くらいのシステムキッチンつきダイニング、
さらに10畳くらいの寝室が3つにバスルームが2つ。
寝室の2つは夫妻それぞれの書斎になっている。
置いてある家具がまた、そこらへんのベニヤ張りなんかじゃなくて、
とっても重厚な1枚板のテーブルや、どっしりしてふかふかの巨大なソファーやなんか。
カーテンやソファの柄なんかはかわいらしく、
いわゆるアーリーアメリカン調の、なんともいえない味のある、
ゴージャスなインテリアであった。
わたしと同い年のカップルがこんな生活をしてるっちゅうことに圧倒され、
(後で聞いたら、彼らは同世代の中でもかなりリッチらしい。やっぱりね。そりゃね。いくらなんでもね。)
「デビーはもうすぐ帰ってくると思うけど、
シャワーを浴びるかい?それとも何か食べるかい?ちょっと昼寝するかい?」
とNHK英会話の「初めてのお宅訪問」みたいな質問をされて、「と、とりあえず寝させてくれい」
と答え、わたしにあてがわれたブライアンの書斎の、
これまた巨大かつ異常に寝心地のいいソファベッドに倒れ込んだ。

1時間も眠ったころだろうか、玄関の開く音、誰かが話している声で目を覚ました。
書斎のドアがノックされ、「起きてる?」と女性の声。
デビーだ。
これから2週間、一緒に研修をする、はじめてのアメリカのお医者さん。
さあ、いざ、ご対面。
ばん、とドアを開けたら、いきなりわたしの顔の前に胸が。
ぎょっとして見上げるとはるか上方に(大げさ)、
ストレートロングの金髪の笑顔が。

はい、だんなは195cm、妻は192cm。
だんなはスタンフォードの名物ボートこぎ、
妻はハーバードのスターバスケットプレーヤーだったげな。
あああああ。
さて、明日からどうなるのでしょう。

続くのか?


 



アメリカに行ってみた -いきさつ-
Date: 2002-10-27 (Sun)

そういえば今年の春にアメリカの病院に行ったんでした。
そのことを書いていきます。
いやになるほどちびちび書いていくことでしょうが、
すみませんね。


ことの始まりは教授の一言であった。

サンフランシスコのちょいと北にあるサンタローザという町に、
家庭医療を特色にした研修プログラムのある病院がある。
うちの医局はこの10年来、卒後数年たった奴を1名、3〜4週間の日程で、
その病院に派遣してアメリカの医療の一端を見学させている。
「かわいい子には旅をさせろツアー」
「とりあえず行って来いツアー」
などと呼ばれている。

その病院でこちらを受け入れてくれるのはUCSFの教授。
うちの教授とは古い友人である。
日本からの客を迎えることを楽しみにしていて、
「次は誰を送ってくるんだ」攻撃が頻繁にあってたらしい。
しかし、去年は人手不足で、これに行く人がいなかった。
今年も人手不足は変わらず、こういうツアーのことなど、
誰も爪の先ほども考えちゃいなかった。

ちょうどそのころ。
昼の外来カンファレンスの後、いつも15分程度、
つれづれなるままにだべってから午後の業務に移るのだが、
その中で、
「そういえば、わたし、アフリカに行こうと思って医者になったんですよね〜。
 そろそろいっぺん、外国に行かんといけんですかねえ〜」
と口走り、
「おまえ、な〜んあほなこと言いよっとか〜」
「わっはっは〜」
とひとしきり皆で笑ったことがあった。
その時、教授が、
「それならサンタローザに行ってきたら」
とつぶやき、
「あ、それもいいっすね〜」
と答えたような気もするのだが、さだかではない。
が、
その日の晩には、
「あ、4月にサンタローザに1人行きますって、メール出しといたわ〜」
と通告され、
翌々日には、事務から、
「4月のサンフランシスコ、飛行機とれました〜」
という電話がかかった。

おいおい、いいのか。

つづく。



やだなあ
Date: 2002-09-09 (Mon)

また長らくのご無沙汰でした。

前いた病院でお世話になった、というか、恩師の先生が、50代初めで亡くなった。
わたしがいた頃から、「歯が痛い〜、歯が痛い〜」と言われていたが、
ただの虫歯と思ってるうちに、
いざ見つかったときにはもうあちこちに転移していた。
それでも手術をして、抗癌剤を打って、
口内炎と嘔吐に悩まされながらがんばっていた。
入院したのはわたしの今いる病院だったので、
はじめ入院された時には
「どがんしたですか〜」
何も知らない顔して、暇をみては遊びに行っていた。
お見舞いなんてもんじゃない、どっちかというとこっちの日々の愚痴を言っちゃってるかんじ。
さびしがりやだから、知った顔に会えるのはうれしい、といつも歓迎してくれた。

いったんよくなって退院し、
その1ヶ月後に再発して入院。
口内炎で食事はまったくとれず、経鼻チューブと中心静脈からの栄養だけとなり、
見舞いに行っても、食べ物はだめ、花は抗癌剤で易感染性になっていたのでだめで、
ただただベッドサイドに座って話をするばかりとなった。
だんだん痛みのためにしゃべるのも困難となり、
変わっていく自分を、知り合いに見られるのも辛いと言われていると奥さんに聞き、
なんとなく遠慮して、わたしの足もだんだん遠のくようになった。
でも、枕元には、去年の手術の前に贈ったタイの健康お守りが、いつも飾ってあった。

まがりなりにも外科の医者だもの、
みんながだまっていても、
今なにをやってるかは点滴の色をみればわかるし、
自分の症状と採血の頻度をみればどういう状況かはわかる。
鏡で傷をみれば腫瘍の範囲もわかる。
なんだかんだで自分の行く先がわかる。
でも、わかっちゃうっていうのも、こわいねえ。
自分が今まで診てきた癌の人が感じていたこわさを、
医療の知識を持ってるっていう点は違うかもしれないけど、
身をもって実感するって言うのはすごいねえ。

と泣き笑いでこぼされたのが忘れられない。
励ましも、同意も、何を言っても嘘っぽくなりそうで、
だまってうなずいて聞くのが精一杯だった。

痛みのために始まった麻薬のため、だんだんぼ〜っとしてきて、
そのうちわたしの顔もよくわからなくなってこられた。
意識のはっきりしている時間に、
自分が勤めていた病院で最期を迎えたい、と自分の部署の部長に頼まれたそうだ。
亡くなったのは、転院して10日、病気がわかってからちょうど1年だった。
夜中に、転院先の病院の外科部長から電話が入り、
携帯の発信元を見てすぐ、
「ああ」
わかってしまった。

患者さんにもスタッフにもとてもやさしい先生で、
決して見た目がかっこいいタイプではなかったが、
ちょっとおしゃれで、飲み会のたびにチークダンスを踊りたがる、セクハラおやじだった。
お通夜に行って帰ってきて、
ぼんやり「北の国から」を見てる途中で、突然、泣けて泣けてとまらなくなってしまった。

医療者として関わっていたわけではなかったが、
こういう死にも会う。



雨なら延期だったのに
Date: 2002-06-25 (Tue)

とてもひさしぶりです。
アメリカの話も書きたいのだけれど、
国際医療協力の研修の話も書きたいのだけれど、
新しい研修医の話も書きたいのだけれど、
あああああ。

このままではいけない、というので、
(なにが?)
とりあえず体を動かすことにした。

っていっても、
テニスするにも相手はいるし、
バスケするにはあと9人集めなくてはならない。
だからといってひとりウオーキングには深夜過ぎる。
夜中に病院周りをうろうろして、
変なおじさんに追われる心配だけならともかく、
草木も眠る丑三つ時ってえのは、あまり気持ちのいいもんではない。
しかたなく、
7階までの病棟の階段をちんたら上がり下りするだけの毎日であった。

で。
週に一回、これだけは時間を死守して通ってる英会話教室の先生
(34歳男性、シカゴ出身で日本語しゃべれず)が、
先日のレッスンの時に突然、
「歩いて峠を越えてみよう」と言い出した。
うちから隣の県の県境の峠のてっぺんまで25km、突然歩いてみたくなったらしい。
外人さんの考えることはよくわからないが、
体動かしたい病にかかっているわたしは二つ返事、
同じレッスンに通っているおばさんと男の子も一緒に参加することになった。
先生の奥さんは車に乗って、リタイヤした人を一人づつ拾っていくのだ。

当日は朝7時半集合。
平日より早く起きて炭水化物中心の食事をしっかりとり、
トルコ戦で一度着たきり押入に投げ込んだ日本代表のユニフォームに短パン、
「おまえはどこに何の試合をしに行くんだ?」
という格好をして、
さあ出発。

自慢じゃないが、わたしゃ学生の頃、
夜通し50kmの道を歩いたこともある。
25kmくらい、へそで茶がわきそうだわ。
と思っていたが、
いやあ、峠のてっぺんに行く道って、
やっぱり上り坂なのね。
しかも歩道がないので、車が耳をかすめて走っていくのね。
そのうえ先生は学生の頃トライアスロンとかやってたらしく、
もう、やたらと無意味に歩くのが早いのね。
さらに彼は日本語、わかんないので、
「ちょっと休憩して」
って言いたくても、息切れした体と頭で英文を考えないと通じないのね。
息切れして日本語すらままならないのに、
奴は楽しげにじゃんじゃん英語で話しかけてくるのね。
こんなかんじで辛さがわかってもらえるかしら?

いやあ、途中でおばさんがリタイアしたところで、
5分休憩があったからよかったようなものの、
あれがなかったら死んでたわ。

峠のてっぺんのハーブガーデンがゴール。
で、昼ご飯を食べて、おいしい空気を吸って、
ハーブ園のおばさんが、
「あんたたち、歩いて来たとね!ばっかね〜」
と呆れつつくれたラベンダーの花束を抱えて、
帰りは、4時間かけて上った道を奥さんの車で20分で下ってきた。

ああ、でもおもしろかった。

帰宅後とるものもとりあえず大急ぎで、、
ポカリスエット2リットル+アミノ酸サプリメント投与と、
温泉+マッサージ療法を行い、
「ああ、これでもきっと月曜と火曜はわたしの体は使い物にならんやろうねえ」
と思っていたが、
わらっちゃうほど筋肉痛がなかったのはびっくりした。
まだまだいけるみたいよ、わたし。

次は自転車で60kmデスマッチをやるらしい。
週末、自転車買わなきゃ。

ちょっと乗り気



第一歩?
Date: 2002-03-21 (Thu)

毎日毎日あいかわらずです。

わたしのほうにもニュースがありまして、
たいしたことではないのですが、
昨日突然教授からお話があり、
4月に1ヶ月弱ほどアメリカに研修に行くことになりました。
プライマリケア、家庭医療のメッカ(?)で、
「ゆりかごから墓場まで」を実践してるとこです。
ついでに5月あたまに国際学会があり、
うちの教授が座長を務めるので、それにも顔を出して、
教授の七光りで顔を売って来ようと思ってます。
さらに数日暇が出来たら、国際保健医療関係の組織の見学にも。

っていうかさ、
今頃急に言われても、チケットとれるのかしらねえ?
行きはいいにしても、帰りはGW帰国ラッシュばい?

わたしが行ってる間の病棟医長業務やら外来やら、不安材料は死ぬほどありますが、
そんなこと言ってたらいつまでもどこにもいけないよ、と教授に言われて、
えい、と行くことにしました。
海外進出、現実的な第一歩です。
もう行っちゃうよ。ばんばん行っちゃうよ。
どこにでも。
いつでも。
あとは知ったことかってんだ、へ〜ん。
ちょうど上司と同僚にめぐまれずに鬱々として、
おーじんじおーじんじに電話しようかと思ってた矢先だったんで、
ちょうどいいや。

ああ、死ぬほど英語の勉強しなくちゃ。
とりあえずむこうの部長によろしくのメールを書け、と言われてる、
ううううう。



ささやかな楽しみ
Date: 2002-02-01 (Fri)

研修医には、なるべくいろんな症例が見られるように考えて、
いろんな病気の患者さんを担当させるのだが、
時期によっては、なぜか同じような症例が重なったりしてしまうことがある。
今の季節だと脳出血、喘息発作、肺炎なんか。
最初はそれぞれ違う症状だったのに気づいたら同じような病状だったってこともある。

あんまり同じような患者さんばっかり持ってると、
なんとなくそいつがその病気の担当、みたいな雰囲気になってしまう。
で、あだ名がつく。

腸閉塞(イレウス)の多いやつには、「ミスター・イレウス」「つまるくん」
悪性腫瘍の治療症例が重なってるやつには「ケモラー」
慢性硬膜下血腫・皮下血腫など、血腫づいてるやつは「ケッシャー」「ヘマトマン」
(血腫は英語でhematoma)

これは、研修医の実力に関わらない、まったくの巡り合わせによる例にのみ適用される。
そして、あまりに疲れてて笑いの閾値が下がった時に、特に盛り上がる。
なので、後でよく考えると別におかしくないところが玉にきず。







- Sun Board -