毎朝、最寄の駅に着くまでに約2名ほどのティッシュ配りの方と遭遇する。 後ろにダンボールを携えて機敏に、確実に手渡ししている様は、絶妙である。 殆どのティッシュ配りの方は1つ、ないし2つずつ手渡している。それが普通だ。 しかし、今日のティッシュ配りのお兄ちゃん、遠目から見ても明らかに勘違いしている奇行が目立つ。 あれは多分片手一杯だから15個くらい重ねてただろうか、てんこ盛りである。 何が彼をそれほどまで焦られているのか、 一体彼は何故そのような迂遠な手段を行っているのか、 宜しくー、とか言いながら胸元に差し出されたティッシュの山を、一体誰が貰うというのだ。 ちょっと笑ってしまうくらいである。 仮に奇特な人間にあたって、運よく渡せたとしても、1つずつ渡す事のほうが確実であることに、彼は気付いていないのだろう。 彼は自分と比べ、周りの仲間たちが着実に減らしているノルマのティッシュが目に入らないのか。 極稀に訪れる、大量消化という優越感と恍惚感に幻惑され、自分で最適だと錯覚しているのか。 それとも、もともとやる気がないのか。 なんとも、不思議な光景である。
さて、 効率や要領の悪さというのは、時間の使い方に通底している。 普遍な時間を制し、自分でコントロール出来る人間が、成功を手にしている。 1900年代初め、アメリカの経営コンサルタントであるアイビーリーは、時間の使い方に関してのアドバイス一つで、当時の金額で2,500ドルの報酬を貰い受けた。アメリカの鉄鋼業界再編のキーマンとなったシュワップの有名な逸話だが。 内容は至ってシンプルである。明日やらなければいけないことを六つ紙に書き、その項目に優先順位をつける。明日やる仕事の順番を前日に決めておくのだ。 必ずやらなければいけない仕事を再認識すると共に、その段取りまで決めてしまえるという事だろう。 その意思決定で既に仕事の半分は片付いているといっても、言いすぎではない。 時間を、長方形に長い箱の連続だと思えば良い。 手前からやる仕事を埋めていくようなシュミレーションである。 まぁ、忙しいが口癖の人に教えてあげると良い、忙しいのは本人のキャパシティー不足であるか、うまく詰め込めず、隙間だらけなのだと。
一時間で15個いっぺんにティッシュを貰ってくれる人間が果たして、何人現れるのか、 一時間で、1つずつ渡せば、どの位減られるのか、 時間は誰に対しても平等であるが為に、その使い方の工夫が、人より一歩前進するための手段で在り得るのだ。
とはいうものの、忙しい時は忙しいのだー。
僕は、仕事する為に生きているわけではない。
生きる為に仕事しているのだ。
上手に時間を使って仕事をこなしても、次から次に仕事が現れるのは、どう防げば良いのだろうか。
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