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コラム のりの「想像条理の原理の嘘」

夢か幻か、脳内を駆けめぐるトポロジー
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返報性
Date: 2006-01-07 (Sat)


返報性という言葉がある。人はある事象に対しての解釈が、人によって、または環境によって変わる。
普遍であるはずの事象がだ。
そして勝手に解釈した経験、または非経験則を骨子に自分が抱く常識としている。
妄想性認知は、だからその時の行動だけではなくその後の人格形成に大きく関与するという事だな。そして、その妄想性認知は、返報性を促す。
つまり、人から好意を受ける、そうすると実は相手が本当はどんな悪人であろうとその時は好意的に受け止める。そして何かお返しをしようと思える、またはする準備段階に入れる。難しいな。
簡単に言うと、親切にしてもらった人間に対しては、親切にしたいと思う事だ。この返報性はヒトの行動原理であり、ビジネスをする上での重要なファクターでもある。


嫁に頼み事をする時にまず、ケーキを買って帰る行動はそれだ。


さて、少し堅い話だが、
戦後焼け野原と化した土地を再建する為、まず住宅建設は急務であったはず。その頃は当然木造で、国内の森林を伐採し、大量に消化した。一方、枯渇を恐れ同時期に平行し杉等を大量に植林した。しかし海外からの安い木材を輸入出来き始めると植林された杉の木だけが残り、花粉を蔓延させる結果に陥った。で僕は花粉症になった訳らしいのだが、そんな事に頓着する間すらないほど急激に経済は発展し、そして、モノが溢れ出した。
生産性を求められ、大量に早く、安くの時代から徐々に、消費者の個性と価値観を重要視しないとモノ自体が溢れるという時代になった。モノが売れない時代だな。
企業は、パラダイムの転換を求められている。

つまり、モノの豊かさを追求した生産者主導による工業社会から、心の豊かさを追求される消費者主体のサービス社会へ変化しているという事。そして変われない企業や個人は時流にそのまま浮流して取り残されてしまう。
顧客の価値観は多様化し、それをそのまま企業へ押し付ける。企業の価値観と顧客とのそれの相違が不満になるということだな。極端に言えば顧客一人ひとり違う価値観に企業は合わせなければいけないという事。だから大手企業は顧客の多様化した価値観を探る為に、懸賞を付けたアンケートを行ったり、メディア等を利用したりして情報を収集しているのだ。莫大な経費を投入してまでも収集しなければいけない情報という事だ。宣伝広告費等の広報活動も、勿論顧客の価値観を見極めるといった意味もあるらしいのだが、恐らく潜在したウォンツを引き出したり、満足度を企業側から創り出しているという事だと考える。
以前ブランドの話(プレゼント)で多少触れたが、ブランド品というのは、見栄とステータスという最高の顧客満足を与えている。そしてその価格というのはただ闇雲に高い訳ではなくて緻密に計算しつくされて算出している。そこには、コストや納期に不満を抱く顧客はいないという事だ、ブランド力とはそういう事だろう。


そんな一人ひとりのニーズや価値観に合わせていては企業として成り立たない。万人に受け入れられるというのは不可能に近いからだ。潜在したウォンツを引き出すというのは、購買意欲を創り出すという事。CMを見て、あ、これ欲しい思うあれだ。一人ひとりに合わせるのが不可能であれば、プラスでもマイナスでもない状態からプラスだけを引き出すという事だな。
これは、街で配られている試供品もそうだが、全て返報性の行動原理だ。基本的な対応やサービスというのも勿論顧客満足度であるのだがそれはすでに大前提での話である。企業と顧客、またはエンドユーザーに対しての接点者(担当者)がイメージを左右する。
接点者というのは企業の一社員であるが、一社員の満足度が向上しなければ勿論企業に於ける顧客満足度も向上しない。


何の話なのかどんどん判ってもらえつつあるようだが、
結論を言えば、給料が少ないのだ。
これだと返報性が働かない。
目まぐるしいほどに忙しく働くのは奉仕ではない。
給料を貰ってその恩返しに仕事をして、顧客にサービスして慇懃に対応して企業価値を高めて、株価を高めて企業イメージを高めて、株主に還元して好循環の満足度を創り出す第一歩の社員に対する報酬が伴っていないのだよ!


企業が儲かっているから給料が高い会社なんてない。
社員の給料が高いから企業が儲かるのだ。

分かっていますか?


ああ、すっきり。




照らす闇
Date: 2005-12-02 (Fri)


街並みは眩しすぎた。
賑やかで煌びやかで、太陽が沈んでしまっても
まるで昼間のような明るさと騒がしさ。
少しだけ頭が痛くなってしまった。
路上で必死に歌う誰かの声が微かに聞こえて来る
少しだけ魅了されて足を止めて、歌声のする方を探してみたけど、
大きなMの字の看板しか見つけられなかった。



ああ、きっと、
暁闇のように綺麗に誰かを包み込んでくれる哀しみはしかし、
どんな事をしても人には作り出せないのだと悟った。
何も劇的な変化を期待している訳ではないのに。
せいぜいがんばっても、塵と霧と光化学スモッグのヘイズ。
ああ、やはり、
淫らで惨めな斯界を静謐に演出する神々しい光こそが闇なのだ。
狂おしい程奔走し太陰を求めても、決められた約束事のように顔を出すルシファー
相補的な本質は恐らく全てに内包し、そして、同時に現れる事が無いかのようだ。
ああ、だから、
眩しいばかりの光に埋もれて、小さな小さな輝きを見失う時、
撒き散らされて捨てられた意志達の片隅で、誰かがそっと泣き崩れて眠る
喧騒の中埋没した叫び声も届かない。



この辺りも、もうすぐ煌びやかな電飾の飾りつけで化粧して、
見惚れてしまうほどに美しく輝くのだろう。
ドイツに本社を持つ有名な美容院が見える。
透明なガラス看板がLEDの光で面発光している。
表面に特殊な加工をして抵抗を持たせているのだろう。
誰もが、太陽が沈んだここぞとばかりに何かを誇示し、主張し続ける。



懐中電灯の光のように簡単に闇を作り出せたなら、
点在する小さな光達も、きっと見つけられたのに。
待ちきれずに消えてしまう、

その前に。




プリンスエドワード島の
Date: 2005-12-02 (Fri)



プリンスエドワード島のアン・シャーリーよろしく、
少し赤毛の君は、色素が薄い家系なのって微笑んだ。



席替えで一番前の席に決まった君の、すぐ後ろが僕。
今まで遅刻常習犯及び授業サボり犯だった僕が、とりあえずホームルームからちゃんと出席している理由は君だ。
少し人と違うとこがあると、大概は苛めの対象になったりするのだけど、少しだけお高くとまっている雰囲気すらある君は、
逆に、男性諸氏の視線を一身に受けていた。
勿論僕もその中の一人で、密かに淡い恋心を抱いていたのだ。


それまでは、授業が始まったら机に顔をつけて寝てばかりいたんだけど、席替えの日からこっち、常に前を向いている。
一見、まじめに黒板見ている風ではあるが、勿論君の綺麗な髪を眺めていた。
風の噂で、三年生の他校の先輩と付き合ってるともっぱらの噂。
やっぱり年上の男性は頼もしいし、なんといっても安心感がある、
このクラスの男共なんて、ガキといっしょだよねー・・・
などと、他の女子が良く話しているのを耳にする。
だったら付き合ってみてから言ってみろよ、って言いたくなるよ。


大体バイト先の焼き鳥屋にしてもそうだ、
若いというだけで不安視する人間が多すぎる。
注文間違いないだろうな?だとか、
ビールちゃんと通ってる?だとか、
ちゃんとやってるよ!って言いたくなるよ。
こればっかりは自分にどうする事も出来ない訳で、まして大人でもヘマしたりする人いるんだから、可笑しな話だよな。
ちゃんとやってるのに、対等に評価を受けれない。
その起因が、歳に依るものだとしたら、これは立派な差別だよ。
自分でどうにか変えられる事じゃないんだしな。
その辺りの屈辱的な仕打ちは、ゆっくりと流れる時間がなんとか解決してくれるだろうけど、今すぐに大人になりたいなんてこれっぽっちも思わない。
そうか、時間は全てを解決するだけじゃなくて、全てを生み出して、全てを浄化するのだな。
すごいすごい、人間も時間が作ったということだ。
コペルニクス的大転換だよまたしても!



だけど、君の年上には一生なれないか。



それでも、毎朝君の、仄かに漂うシャンプーの匂いだけで、
朝の倦怠感など一気に吹き飛んでしまうんだ。
毎日学校へ行くのが楽しくなるよ。
あー、クジ運人生最高潮だよ。


っていっても、
席が前後ろになったからといって何かが劇的に変わった訳ではない。
勿論、自分から行動に移さないとどれ程も前進しないのは判っているけど、付き合っている先輩がいるんだったら、多分太刀打ち出来る訳がないと思ったし、まして告白してフラれでもしたら、それこそ前後ろの席にいてぎくしゃくする羽目になる。
第一そんな勇気は何処から持ってくれば良いのかすら分らない。
現状で満足なのかと問われると、ちょっと答えに詰まってしまうのだけど、今のこの心地良い雰囲気が崩れてしまうことを思うならば、現状で良いなんて思ったりして。


稀に話す他愛の無い会話だけで、退屈な授業も、バイトも、すんなりこなせるほど嬉しくなる。
だからほんとは告白する気なかったんだ。
だけど、ついつい約束しちゃったんだよね、みんなに。
だって、あいつらがお前はどうせ言ってもフラれるから今のままが良いのさとか、お前はクラスの雰囲気を壊す気かとか、頭に来る事ばっかり言うものだから、もしフラれたら丸坊主になってやるよ!ってな具合にね。
勿論、何処にもそんな自信なんてなかったんだけど、
そこまで馬鹿にされて引き下がっては、末代までの恥だよ。
男は勝負する時は勝負しなきゃね。




すごくドキドキして、食事も通っていかないくらい緊張して電話した。


そして、ものの見事に玉砕。
目の前が真暗になってそしてものすごく眠った。
次の日も眠ってた。
男なのに失恋はやっぱり苦しかった。
それからしばらくバイトも休んだ。


そして、人生とは所詮こんなものかと諦観したりしちゃったよ。





あの時の事を聞くたびに妻は、
だって、みんなと私の事で賭け事みたいな事してるのが気に入らなかったから。
っていって笑う。

じゃ、あの当時の本心は?って聞くと、
内緒なんだとか。




秋の休日
Date: 2005-12-02 (Fri)



煩わしい斜陽が、路上のマンホールに反射して僕を照らす
渇き切った風と、物憂い陽射しと、アスファルトの墻壁
公園の砂場で作ったお城のように脆くてしかし峻峭なヒエラルキー
決められた時間と行動とルールに踊らされ、
振り向くとそこには、手招きをする物言わぬルシファー



投げ出してしまいたい欲動を抑制しすぎると身体に悪いからと、
思いっきりジャンプしてみたりなんかしたから、
珍しく故郷へ帰ってみようと思ったのかもしれない



ああ、郷里との惜別

こんなにも自由で
こんなにも残酷だなんて



千草香る秋風と、純白のワンピースと、少しだけ軋むテラス
澄み切った碧空と、木製の校舎と廊下とロッカー
大凡の人は優しくて、大半が顔見知りで、その殆どの人と朝には挨拶を交わした
鮮やかなる秋景は蓋し何処よりも絶佳で、夜には満天の星を眺めた。
暫く物思いに耽り、思い出の地をまわり、時を少しだけ逆回しにした感覚に浸った
物言わぬ父親の墓碑に久闊を叙し、いつもより少しだけ長く頭を下げた
大きな白鷺と肩を並べて、ゆっくりとした午後の時間を飛び、
そして何かに引っ張られるかのように戻ってきた



昔、上京の途次、
瞼に浮かぶフラクタルな抽象画を何とか理想の形に変えたくて、
何度も顔を顰めていたあの頃と似ていて、
美化され続けた郷里の記憶が、過去との堺を越えたとしても、
間違いなく記憶は、現実の出来事として存在していた事を知った
少しだけほろ苦い、秋の休日




ディオラマ
Date: 2005-11-22 (Tue)



自由にならない世界をディオラマで構築し、
自由を手にしたとうそぶいてみたりもした。
ある日突然放り投げて壊して、暫く手もつけない。
そしてまた不意に、レゴブロックのように積み上げて、
綺麗に折り重なる虚構に目を奪われたりして。
繰り返すうちにあなたまで、
自分で勝手に作り出していた。
本質が、違うのに。



高く澄み切った秋の空と、
低くたちこめた秋の曇天。
わたしも、立体模型だったら良いのにと、
見上げてみて感じた。


ディオラマに惹かれる事と、
あなたに惹かれる事とは違うのだと気付いた。



直観的に惹かれあうウォンツを表面化してしまうと、
求めるものを疑うことになる。
神秘性や絶対性が揺らぐ事になる。
求めているという認識があっても、
求めている理由を探ってはいけないのだと思う。



漠然と恣意的に魅力を感じたとして、
その理由を理解する必要はない。


あなたを欲しいと感じたら、欲しいのだ。
欲しくなくなるように、欲しくない理由探すべきではない。




そんな事を考えていたら、
雨が大粒になってきた。
巨大な如雨露を持っている手が、
大空から見えるのではないかと、
少し、不安になりました。


結局、空は、
いつでもわたしを、
笑っている。




吾子
Date: 2005-11-15 (Tue)



子を思い傅き、
心が失透するほどの千載も、流した涙も、
まるで瑞雨の如き福音の調べ。
我馳せる夢とばかりの至嘱は、悉く迷乱の験




強かな想いも、直向な切情も、懐裡にしたため
侘しげな秋風の吹き荒れる喧騒の都邑を、
肩を寄せ合い歩く恋人達のように、暖かく暖かく見守る事。



今は亡き親父が見せた偉容を、大きな背中を倣い、
何事にも屈しない生き様を、ただただ見せる事。




漸く立ち上がり、そして歩き出した息子が、
ところどころに落とす、喜びや悲しみを、そっと後から拾う事。




いつしか、時が過ぎても、
満たされた愛の中で、
共に過ごす事。



ふいに天を仰ぎ、
行く末願う光景は、
妻と息子の、満面に湛える笑顔と、

互いに交わす杯。






息子に見る学習心理学
Date: 2005-11-14 (Mon)



息子に食事を与える時妻は、まずよだれ掛けを着せてから支度する。
毎日毎回繰り返しているうちに一歳になったばかりの息子でも
よだれ掛けを着たら食事の時間だと学習する。
パブロフの犬で実験されたレスポンデント条件付け学習だな。
息子はよだれ掛けを着せただけで文字通りよだれを出す程の勢いでご飯をせがむようになった。
そのうち転んだら痛い事を学習して転ばないように努力したり、
おしっこをすると気持ち悪いと感じてトイレでちゃんと用を足せるようになったりするのだろう。
人が成長するのは、行動の基となるこういった経験があり、その集積な訳だな。
だから息子は、まだ梅干を見ても唾液は出ないのだ。


学習心理学は、行動原理の一つであるという事、
反射以外でも心地良い経験により誘われる直観が働く訳だ。
繰り返す事象の結果が仮に不規則で不定期であっても、
経験則が無意識の行動を起こさせたり、嫌な予感を感じさせたりする。
つまり、行動は環境と経験則に隷属される。
今、その時の意志なんて全体からするとほんの少しの要素でしかない訳だな、何とも自分で決定しているような選択も無意識に決められている風である。
もっと言えば、この社会秩序も学習と経験則で作られているのだな、
ルールとは常に学習と経験で変化している。


何だか騙され続けその残酷で傲慢な斯界に一体どれ程の叛服を繰り返し追従しているのか、その隷属に一体どれだけの価値や意味があるのか等と疑問に思い、途方に暮れてる人もいるのだろうけど、何らかの戒めや歯止めがないと人は、全ての行動を心地良い方へと流されてしまうのだろう。
残酷で傲慢なのはルールではなく人間なのだから。




で、息子の話に戻るが、
僕が両手を広がると抱っこしてもらえるものと学習してせがみ始めた。
いつも抱っこしてるので手が痛いのだが、なんとも愛すべき行動である。
ちなみに妻に両手広げてみたけどあっさり無視された・・・
と、このように
条件刺激だけ与えても、以前の学習を徐々に消去させる事もある訳だな。
なるほど。




パテント
Date: 2005-11-11 (Fri)


PAT、及びPAT.Pとは特許を表した記号である。
いわゆる知的財産権、又は、知的所有権という
非有体物を排他的に支配しうる権利の事を言う訳だが、
著作権は文化庁に、特許、実用新案、意匠、商標は特許庁に、
それぞれ申請しなければいけない。


著作権という言葉は聞きなれているが、
特許に関しては若干知識が曖昧だったりする。
ただ、実用新案とは何かのアイデア、工夫に対する所有権であり、
意匠はデザイン、商標は、商品名だとかロゴであるとかだな、
それが公知でない、つまり常識として世の中に浸透していない情報であれば、それぞれ独占的な権利が発生する申請の権利がある。ややこしいな。
勿論、特許権の理念であり、また悪しき専売という旧弊を防ぐための期間は決まっている訳だが。
特許は出願から20年、実用新案は10年であり、それ以後は誰でも使える。
全てに於いて言えるのは、先願主義、つまり先に出願した人に権利がある。
俺のアイデアだと息巻いてみても、それを他人が出願したら、他人の権利に成り得る。
実用新案は出願と同時に方式審査が行われ、
それが公知でないと証明されてしまえば即権利が発生する。
仮に、いや、そんなアイデアなんて昔からあるよと異議申し立てを行い、第三者が無効審判請求を起こすことも出来る。
その場合、現存を立証しなければならない、という事だな。
一方、特許というのは、出願しただけでは、3年ほどで取り下げられてしまう。
出願後に、審査請求という申請をしてはじめて特許庁は審査を開始する。
そこで、実体審査が行われ運悪く見解の相違に漏れて拒絶審決になる可能性もある。
うーんと、すごく長い道のりを経て最高裁判所までクリアし特許番号が貰えたら、あなたもりっぱな発明王と言う訳だな。
すごく似ているアイデアや商品が他から発表された場合、
損害賠償請求を起こせる。
まぁ、似ている商品や商標であれば、不当競争防止法にもひっかかるかな。


冒頭に表記したパテントを現す表示に、Pが付いていた場合は、pending(ペンディング)
つまり、出願しているだけという事になる。
商標登録済みのロゴにはRを○で囲んだマークがあったりする。


ちなみに、テクニックとして、
出願から審査請求までの3年間がある事がかなり重要になったりする訳だが、ヒントを言えば、審査請求してしまうと、補正出来ないという事、かなり具体的になるまで広い範囲で見解を保てるような出願をして牽制する、それでより具体的にして尚且つ、その他人のアイデアも取り込みつつ審査請求を起こす。
ただ、弁理士も裁判所に於ける見解の相違にまでは推測が及ばないのだろうから難しい問題ではあるな。


ギゴネコやらのまのまやらしんちゃんやらで何かと世間を騒がせている権利の問題は、どっちに転ぶかで莫大な財産が関ってくるから騒ぐのだな。
ただ、新しい情報に一定期間だけでもこういった価値を付けてあげなければ、あらゆる分野の発展は急速に減速するのだろう。






時間の使い方
Date: 2005-11-10 (Thu)


毎朝、最寄の駅に着くまでに約2名ほどのティッシュ配りの方と遭遇する。
後ろにダンボールを携えて機敏に、確実に手渡ししている様は、絶妙である。
殆どのティッシュ配りの方は1つ、ないし2つずつ手渡している。それが普通だ。
しかし、今日のティッシュ配りのお兄ちゃん、遠目から見ても明らかに勘違いしている奇行が目立つ。
あれは多分片手一杯だから15個くらい重ねてただろうか、てんこ盛りである。
何が彼をそれほどまで焦られているのか、
一体彼は何故そのような迂遠な手段を行っているのか、
宜しくー、とか言いながら胸元に差し出されたティッシュの山を、一体誰が貰うというのだ。
ちょっと笑ってしまうくらいである。
仮に奇特な人間にあたって、運よく渡せたとしても、1つずつ渡す事のほうが確実であることに、彼は気付いていないのだろう。
彼は自分と比べ、周りの仲間たちが着実に減らしているノルマのティッシュが目に入らないのか。
極稀に訪れる、大量消化という優越感と恍惚感に幻惑され、自分で最適だと錯覚しているのか。
それとも、もともとやる気がないのか。
なんとも、不思議な光景である。




さて、
効率や要領の悪さというのは、時間の使い方に通底している。
普遍な時間を制し、自分でコントロール出来る人間が、成功を手にしている。
1900年代初め、アメリカの経営コンサルタントであるアイビーリーは、時間の使い方に関してのアドバイス一つで、当時の金額で2,500ドルの報酬を貰い受けた。アメリカの鉄鋼業界再編のキーマンとなったシュワップの有名な逸話だが。
内容は至ってシンプルである。明日やらなければいけないことを六つ紙に書き、その項目に優先順位をつける。明日やる仕事の順番を前日に決めておくのだ。
必ずやらなければいけない仕事を再認識すると共に、その段取りまで決めてしまえるという事だろう。
その意思決定で既に仕事の半分は片付いているといっても、言いすぎではない。
時間を、長方形に長い箱の連続だと思えば良い。
手前からやる仕事を埋めていくようなシュミレーションである。
まぁ、忙しいが口癖の人に教えてあげると良い、忙しいのは本人のキャパシティー不足であるか、うまく詰め込めず、隙間だらけなのだと。




一時間で15個いっぺんにティッシュを貰ってくれる人間が果たして、何人現れるのか、
一時間で、1つずつ渡せば、どの位減られるのか、
時間は誰に対しても平等であるが為に、その使い方の工夫が、人より一歩前進するための手段で在り得るのだ。




とはいうものの、忙しい時は忙しいのだー。

僕は、仕事する為に生きているわけではない。

生きる為に仕事しているのだ。

上手に時間を使って仕事をこなしても、次から次に仕事が現れるのは、どう防げば良いのだろうか。




プレゼント
Date: 2005-11-10 (Thu)


なんと、
僕の誕生日の後すぐに嫁の誕生日だったりする。
強請られてるのはヴィトンの財布。
一体いくら位するのか不明だが、多分高いのだろう。


昨今、この手の商品の価値というのは、品質など差し置いてブランドが一番重要なファクターであるらしい。
勿論、ブランド力を高めた企業の製品というのは、それまでの過程でクオリティーを高め、信頼と安心で築き上げてきたということだろうけど。
しかし、同じような商品が方や3万円でも飛ぶように売れたり、3千円でも全く売れなかったりするのは、見栄、つまり金銭的余裕を他人に見せたいからに他ならない。
ただ使うだけであれば3千円で良い。穴の空いた靴下を履かない理由と同義だ。
だから物を売る側としたら、QC(クオリティーコントロール)やCI(コーポレートアイデンティティー)の確立が大前提であり、その過程での売り上げなど手段に過ぎないという事。つまり価値を継続的に販売する目的に於いて、単に物を売るというのは手段でしかない。商品のクオリティーを高め、信頼と安心を築き上げて、漸く人々に認められるブランド力と成りえる訳だな。だから、確固たる信頼と安心で裏付されたブランド品というのは、ただ高いだけというものでもないのかもしれないが。闇雲に高いだけの商品というのはだから売れないのだろう。


ただ、ブランド品が売れる理由が金銭的余裕という見栄であったとしても、ステータスという目的で買う理由というのは少し違う。それは高いお金を出して買ったという自分自身に於ける心理的作用の方が大きい気がする。高いから大事に使う。高かったから良質である。高かった商品はそれなりの作用を促すのだ。(御守りが効く訳 )
だからプレゼントされたブランド品というのは、プレゼントした側にステータスが備わり、プレゼントされた側は、ただの見栄にしか使えない。つまり自分で買わないと本来の商品の価値を100%引き出せない。また、そうすると、無理をして買うというのも本来可笑しな話なのである。
ステータスとは本来"社会的地位、またはそれを表すもの"とある。
つまり、ブランド品を持っているからといってステータスにはならず、金銭的余裕内で無理をせず、尚且つ自分で買えてこそ初めて具わるという事である。


という事で、嫁よ、ヴィトンの財布は少しばかり無理な気がする。



だから、



だから、


愛だけ詰まった空のプレゼントを贈る。




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