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コラム ききすけの「やまあいの学校で」

のどかな学校の先生がつづる風景♪
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出張。
Date: 2000-08-13 (Sun)

夏休みも、もう半分を過ぎた<うちは、8月下旬に2学期がスタートするのです。
学校の夏休みの間には、たくさんの出張や研修があることが多い。
私も、先週1週間、毎日どこかに出張していた。

この前、出張先でちょっと嬉しいことがあった。
隣町の小学校への出張のこと。
予定時間より、30分も早く着いてしまった私は、会議室で一人待ちぼうけ。
ぼ〜っとしていると、部屋の外でこちらに向かって手を振る女の人がいた。
「…誰だっけな?」
一応会釈をして返したのだが、頭の中ではどんなつながりがある人なのか、
一生懸命記憶の糸をたどっていた。
そのうちに他の先生も集まり始め、その女の人が誰なのかと言うことを考えるのを辞めてしまった。
会議が終わり、お茶を飲みながら他の先生と話をしていると、
また、先ほどの女の人が満面の笑みで手を振っている。
私と一緒にいた先生は、その人と顔見知りらしく、手を振り返していた。
「かよこさ〜ん、久しぶり〜♪」と、私の隣の人がその人の名前を呼んだとき。
私の記憶が一気によみがえった。
その人は、私の小学校2年生の時の担任の先生だったのだ。
当時20代前半だった先生も、今は40代。
めがねをかけていたから、よくわからなかったが、
その奥には、昔と変わらない優しい眼差しがあった。
何より嬉しかったのは、たった1年間担任をしていた私のことを、
先生が覚えていて下さったことだ。
「大きくなったね〜。でも全然変わっとらん」
当時は、背が高くすらっとした先生に見えたのに、会わない20年の間に私が背を抜かしてしまっていた。
随分小さく感じたが、笑顔は昔と全然変わっていなくて嬉しかった。
次の出張が待っていたので、ゆっくり話すこともできなかったので残念だったが、
久しぶりに子どもの時の気持ちがよみがえってきた。

こんな意外な出会いがあるから、移動時間が長くても、お偉さま方のありがたい話で睡魔と戦うことになっても、
私は出張が好きなのかもしれないな。



夏休みの思い出。
Date: 2000-07-21 (Fri)

暑いですねえ。
私の学校も、ようやく夏休みになりました。
…………どれだけ待ちわびたことか。(´□`;)

私、夏は大好き。
暑くなると、泳げるでしょう?泳ぐのだいすきなんです。
山国育ちの私は、そう簡単に海に行くことができない。<車で3時間くらい?しかも港だから汚いの^^;
小さな頃から、海に行くことが夏休みのメインイベント。
で、普段はどこで泳ぐか?
学校のプールで泳ぐこともあったけど、学校のプールって大混雑でしょう?
それに、小学校にしかプールなかったし。
私が一番泳いだ場所。
川です、川。
これを読まれる人のイメージする川って、それぞれ違うと思うけど、
私の町のは、川幅が広いところで15mほど、水深は2mくらいかな。
岩がゴツゴツしてて、流れも結構早い。
キャンプ場の川を想像してもらったらいいと思うんだけど。
中学校は川沿いにあったから、体育の時、時々みんなで川に泳ぎに行った。
夏休みは部活が終わったら速攻で川へ。
川に降りていく通路の所に旗がでる。
赤旗なら遊泳禁止。白旗なら遊泳可能。
小学生は、保護者同伴、中学生は学校の名札を持っていけば、1時から3時まで泳ぐことができた。
大きな石を抱えてどこまで川底を歩いていけるか、とか、タイヤチューブに乗って急流下りをしたり。
疲れたら、岸の大きな岩の上で甲羅干ししたり。
夕立が降ってきたり、アブに刺されたり、時には、心ない釣り人の捨てた釣り針を足にぶっさしちゃったり、
ハプニングもあったけど、楽しかった。
思えば、私が泳げるようになったのも、物心つく前に親父様に足のつかないところに連れてかれて、
脇の下抱えられて、どっぽーんと放り出されたからこそ(実話らしい)
今考えると、泳げるようになったというより、必死に泳がざるを得ない状況に追い込まれたわけだけど。

ところで、時々、都会の方々(^^;)も、お盆なんかに来るんだけど、怖がっちゃって大変。
川なめちゃってるから(´―`) フッ
まず、水温がものすごく低い。20度ないんじゃないかな。それでまず、出鼻をくじかれ。
次に、自分のいる岸から、向こう岸の岩場まで、だいたい10m。でも、簡単に渡ることができない。
流れが速くて、自分の目的の場所よりかなり上流を目指して泳がないと、下流に流されてしまう。
それに、どんな深いところでも川底が見えて、底に近いところに魚が群をなして泳いでいるのが見えるから、
恐怖感が増すらしい。
その横を悠々と泳ぐときの優越感っていったら♪

今は、忙しくてなかなか泳ぎに行くことができないんだけど、
私が将来(^^;)結婚して子どもができたら、是非川に連れていこうと思う。
そして、親父様が私にしてくれたように、
私の子どもも、ドッポーンって川につからせてやろう。



選挙好き。
Date: 2000-06-25 (Sun)

あ〜 あつ。
今日は、待ちに待った(?)選挙の投票日です。みなさん、投票はお済みですか?

ところで私は、選挙・・・正確には投票が大好きである。
20歳になって、選挙権をもらってから(この表現は適切じゃないような気がする)、入院していて不在者投票にも行けなかった時を除けば、皆勤賞。
大学時代に、たまたま試験期間と地元の議会議員選挙が重なった(住民票を移していなかったんですねえ。)
その時は、親にわがままを言って、新幹線と特急を乗り継ぎ、日帰り投票旅行を敢行したこともある。

初めての選挙は、私の誕生日からちょうど10日後に行われた、衆議院議員選挙だったように思う。
夏休みで実家に帰ってきていた私は、両親と共に投票所へ行き、
ドキドキわくわくしながら投票用紙に名前を書いた記憶がある。

私が選挙好きになったのは、投票所のあの独特の雰囲気がたまらないから。
実家の投票所は、隣の公民館。選挙の立会人も、受付の人も、皆顔見知りである。
いつもなら、「これからどこ行くんよ。」「ほんっと、暑うてどもならん」な〜んて、
気軽に声を掛け合うおじさん、おばさんばかりが投票所で迎えてくれる。
それが、「こんにちは」「こちらが衆議院の投票用紙です」「あちらに投票して下さい」など、
みなさん他人行儀な言葉。
仰々しいとでもいったらいいだろうか。うまく伝えられないけど・・・
大晦日みたいな感じ。

私の地域の神社では、大晦日からお正月にかけて「元旦祭」と呼ばれるちょっとした式典がある。
その際、「元旦祭に参加するまで、他人と口をきいてはいけない」と言うルールがある。
神様にまず新年の挨拶をするまでは、誰とも口をきくなということらしい。
だから、近所の友達と出会っても、声をかけることはできない。
話すな、っていわれると、余計に話したくて、うずうずしちゃう。
だけど、神様との約束だから(^^;)守らなきゃいけないし。
話したいけど、話せない、そんなもどかしさ。
そんな感じが、投票所の中にはある。<私だけ?

説明が長くなってしまったんだけど、とにかく普段とは違う異空間が味わえるのが、投票所。
残念ながら、そこには政策がどうとか、私が日本の政治を支えているんだ、と言う想いはなかった。
今日も、投票を楽しませていただいたんだけど、各政党の訴えていることがどう違うのか、
説明できない情けない状態での投票である。
でもね。
「参加することに意義がある」のです。
たかが一票。されど一票。
投票に行かなかくても、投票所で白票を投じても、投票用紙に何も書いていないことには変わりない。
でも、とにかく「投票する」ことで、今自分が政治についてどう思っているのか、
と言う意志を表明することはできる。
白票は大切な1票だからさ。大きな意味を持つんだよね。

政治ってわかんない。私もそう。
だけど、わかんない世の中にしているのも、私たちじゃないかな。
わかんないならわかんないで、それを投票したらいいんじゃない?
ウンともスンともいわない私たちがいるから、
いろいろナメたこという政治家がのさばって来るんじゃないかなって思う。
私の目標は・・・いつか、最高裁の国民審査で×を意図的につけること。<あれって、よくわかんないのよね、実際の所^^;;

ま、政策とか何だとか、難しいことを語れるような私ではないので、そういうのはどこかで入手してもらうとして。
あの独特な空気を体験してみるのは、結構楽しいもんですぜ(^^)b

と、いうことで、残り2時間半なのに、こんなことを言うのもなんなのですが。
投票にいってみようね。



嬉しい瞬間。
Date: 2000-06-22 (Thu)

今日は、午後から出張。行き先は、養護学校高等部。
何だか難しい名前の出張だったけど、一言で言えば、特殊学級の担当者研修会である。
1時間くらい養護学校の先生のお話を聞き、その後、授業「作業学習」の見学へ。
授業見学。私の今日一番の目的は、これ。
M君に会える。今高校2年生になったM君。
2年前に初めて担任を持った学級の、たったひとりの生徒だったM君。
放課後教室で、お母さんが民謡教室でもらったというテープを使って、
何度も何度も歌って踊っていたM君。
自分が怒られてもヘラヘラ笑っているのに、どこからか怒鳴り声が聞こえてくると、
とたんにパニックになって、部屋の中をグルグル歩き回っていたM君。
泣いたり笑ったり怒ったり、いろいろあったM君との1年間だったけど、ものすごく楽しかった。
彼は、高等部進学と同時に、隣接されている福祉施設に入所した。
今はそこで生活しているから、ほとんど顔を見ることはない。

作業は、紙箱折り。地元の銘菓を入れる箱を業者から引き受けて作る。
そのまま商品になるから、いい加減な作業はできない。量も必要だから、
丁寧、且つ迅速な作業が要求される。
二十数名の生徒達が、いくつかのテーブルの別れて、ほとんど口も聞かず、
ものすごいスピードで箱を作っていく。
その中の一角、他よりスピードが落ちるテーブルがあった。
障害の程度が少し重く、一人ひとりに先生がついて指導しているグループ。
そこにM君がいた。
「M君ね、なんだか冬頃から調子が悪くって。なかなか落ち着かないんです。」
説明されなくても、よくわかる。
「手袋、するのか?しないもんねー」などと、ぶつぶつ言ったり、
体を揺すりながらきょろきょろ辺りを見回してる。
同じテーブルの仲間が、ゆっくりながら確実に作業をしているから、
余計に彼の落ち着きのなさが目立った。
ふと、私と目があった。
「しらないもんねー しらないもんねー」「やりますよー 紙をな 折るんですよー」
M君は、私に気づいて動揺したのだろう、落ち着きのなさに、更に輪がかかってしまった。
チラチラとこちらを見ながら、なかなか作業に取りかかろうとしない。
M君から私の姿が見えない位置まで移動するのだが、気配を感じ取るのか、
なかなか意識が作業に向かない。
しばらく、それでもM君を見てたいから、いろいろ試してみたのだが、
結局、何とも言えない複雑な思いになってしまった私は、
そのまま教室を離れてしまった。


その後1時間くらいの会議があり、すべての日程を終えたとき、
来なきゃよかったかな。
そんな悲しいことも頭をよぎった。
重い気持ちを抱えたまま、養護学校の玄関の前で、しばらく他の学校の先生方と話をしていた。

その時。
「なにーっっ?どうしたーっ!?」
聞き覚えのある、甲高い叫び声。M君だ。
隣接している福祉施設の一部屋の窓を全開にして、こちらに向かって何か叫んでいる。
今しか、きっとM君と話せる時間がない、そう思った私は、
彼を驚かせないようにゆっくり近づいた。
M君は、そんな私の姿を見、パッとどこかに走り去ってしまった。
窓の外にあったブランコに座り、M君が「私がそこにいる」っていうことに慣れるのをじっと待つ。
部屋を出たり入ったり、時には上履きのまま外に飛び出したりして、
M君ははなかなか落ち着かない。
30分くらいたっただろうか、M君がだんだん窓に近づいてきた。
「テレビをな、見るんだよー。」「おかあさん(「おかあさんといっしょ」と言う番組)を見るのさー」
私が窓に近づくと、またパッと離れていくのだけど、でも、私を拒否してる表情ではない。
壊れかけたテレビで、体操のお兄さんと一緒にみんなで体操をしている。M君も一緒に。
体操をしながら、少しずつ少しずつ窓に近づいてきている。

「M君、もう帰るよ。高等部、頑張ってね」
そういって、手を出した。
パチン。 
M君は、私の手を軽くたたいた。彼なりの握手だった。
ほんの一瞬、ほんの一瞬の出来事だったけど、それで十分だった。



なんだか、がんばれそうな気がする。



山あいの病院で(怒)
Date: 2000-06-13 (Tue)

えーっと、今日は学校ネタではありません。
ちなみに、今回は、個人的なぼやきを書き殴った物であり、医療批判だとか、医者に対してどうとか、っていうものではありません。あしからず。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

土曜日の夜から頭が痛い。
頭全体が痛いんじゃなくって。
左耳の後ろからこめかみ、頭頂部にかけてのデルタ地帯。
むしろ頭蓋骨の外側がヒリヒリするような、ズキズキするような痛み。
偏頭痛なのかあ?
耳の後ろだから、中耳炎?
こめかみの辺りも痛いから、目の疲れか?
それとも、私の知らない、恐ろしい脳のなにかなのかっっっっっっっっ!!!????
これまでかかった、数々の病気の症例(´ー`;) と照らし合わせながら、自分の病気を分析。
夜、痛みでなかなか眠れないから、いろんな悪いことが脳裏を駆けめぐる。
日曜日。今度は吐き気。
何かの拍子に下を向いたら、私の意志とは関係なく、何かがこみ上げてくる<お食事中の方、ごめんなさい(^^;)
をいをい、いよいよおかしいじゃないかっっ( ̄□ ̄;)
頭の痛みも、ヒリヒリするような時もあれば、ズキズキを通り越し、
ズンドコズンドコと太鼓をたたかれているみたいに痛いときもある。
ついに、実家に電話。
「あのさー、頭痛いんやけど、どうしたらいい?(なんちゅう質問(´□`;))」
「薬飲んだら?」と母。ごく当たり前の答えである。
「薬飲んだけど、まだ痛いんやもん」
「病院いけば?」と母。またも、ごく当たり前の答えである。
「病院って、頭痛い時ってどこ行けばいいの?」<これって、私にとってはありがち且つ切実な質問。
「あ゛〜っっ!!わからないんだったら、総合病院行ってまわしてもらいなさいっっ!!」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・まわしてもらう?
母に尋ねると、まず内科に行き、様子を見てもらって内科の管轄(って言うのか??)じゃなければ、
適当な科にまわしてもらえ、との答えだった。
「そ・・そんなこと、できるの?」
「私は医者じゃないから、そういう相談は先生にしなさいっ!(半分あきれた母)」
と、いうことで、ズンドコズンドコ鳴り響く頭痛の究明に総合病院へ診察に行ったのである。

(本当は、どの病院がいいのか、診察時間はいつからか、病院にたどり着くまでにも紆余曲折があったのだが、
今回は省略。嗚呼、無知な私・・・(´ー`;;) フッ)

「内科は、この角曲がってすぐですから」
総合受付、と言うところで初診の診察申込書を記入し、いざ内科の待合室へ。
「○○さ〜ん、3診へどうぞ」「△△さん、5診へお入り下さい」
第1診察室から第5診察室まであって、それぞれの先生がマイクで診察室の中から呼んでいる。
一人ひとり個性があっておもしろい。
ボソボソ話す人。コンサート会場の場内係員(押さないでくださ〜いって叫んでる人)みたいな人。ダンディな声の人。
嬉しそうに呼ぶ人。怒りっぽく呼ぶ人。
する事がなくて暇だった私は、呼び出し放送のピンポ〜ンと言うチャイムと同時に、
「あ、この声は5診の先生だ」「おしい、2診の先生だと思ったのに」とか、
ひとり声当てクイズを楽しんでいた。

そして、1時間後。
飽きずにずっとクイズを楽しんでいた私。
「2診か5診の先生に診てもらいたい」と言う思いで固まった。
理由?簡単。
声がステキだったから( ̄ー ̄)ニヤリ
ダンディな声の5診の先生か、コンサート会場の2診の先生がいい!
どんなステキな人なのかなあ、っていう思いより「声と顔のギャップを楽しみたい」と言う思いが強かった。
診察までの残り1時間、私は2診と5診の先生の声が響くと、「次は私かしら♪」と、
まだ見ぬ声の主に思いを馳せていた。
(注:お気づきのことと思うが、実はこの間すでに2時間も待って・・・待たされていたわけである。
   仕方ないけどね、月曜日だし。)
ついに私の番。
残念ながら、呼び出されたのは3診の先生。
ほのかな恋心(謎)は、見事にうち砕かれた。
そして、怒りの診察が始まったのである。

「いつから痛むんですか?」「どの辺ですか?」
まずは、問診。正直に必要最低限のことを答える。

で。
先生からの信じられない一言。
「風邪ですか?」
・・・・・・・・・・・・
へっ?????????

実は、以前別の病院で先生に怒られたことがある。
「風邪だと思うんですよ〜。頭は痛いし、熱があるし。喉も少し痛いんですよね〜♪」
こう、自分の状態を説明した私は、「風邪かどうかは、私が決めるんです」と、ピシャリと言われたのである。
それ以来、聞かれたこと以外は余計なことを話さないように、こと、病名は口にしないように気をつけている。
で。
「風邪なんですか?」と答えた私。
「違いますか?」と、先生。
「そうなんですか?(イライラ)」と私。
聴診器を胸に当てる医者(この辺から、もう「先生」という意識はなかった)。
わざと大きく深呼吸をしてやる(意味のない小さな抵抗)。
「うーん・・・」と、医者。
(で、結局私は何なのよ?風邪なの?なんなのっ???)
ちょっとイライラしながら、その後の言葉を待つ私。
「頭の検査、してみますか?」
・・・・・・・・・へ?
「必要なんですか?」
「やってみたいとおっしゃるなら、やりますよ」

プチンッ

何かが、頭の中で切れた。
ここでの2時間は無駄だったわ。
風邪ですか?検査しますか?で医者がつとまるなら、みんな医者になってるよっ!
それを決めるのがあんたの仕事でしょうが!!??
そ〜 れ〜 にっ!!
話すときは、相手の顔を見て話せ〜〜いっっっっっっっ!!!!カルテ見ながら話をするな〜〜っっっっ!!!!!<ちょっと教師的主観かも。

頭の中は、いまだにズンドコいってたけど、ここにいたら、ズンドコがドンドコになりかねない(ナンノコッチャ)。
「ま、とりあえず、痛み止め出しておきます」
という、その医者のセリフをきっかけにして
「ありがとうございました」
と、早々に退室しようとした。
そんな私の様子に気づいたのか、看護婦さんが一言。

「痛みが続くようでしたら、また来て下さいね。
看護婦に相談していただきましたら、脳神経科で診察と言うことも考えられますから」

・・・・看護婦さんありがとう。
 あなたの一言で救われたよ。今度から看護婦さんに相談してから、診察してもらう科を考えるよ。
 よく考えたら、2診と5診の先生に診てほしいなんて、私がわがまま言ったから、神様が罰を与えたのかもしれない。
 もう、二度とそんなえり好みはしません。看護婦さんに免じて、この3診の先生も許しましょう。
 あなたも、大変ねえ。この先生のサポートは・・・

看護婦さんにメンタルケアをしていただいた(^^;)私は、
とりあえず、偏頭痛って言うことで薬をもらってきた。
午後からも引き続き休みをもらって、家でひたすら睡眠。
目覚めたら、すっきり爽快♪
頭痛も、ヒリヒリした痛みは続いているけど、許容範囲内に収まっている。

明日は、仕事だぁ。



就職戦線異状ありあり。(後編)
Date: 2000-06-06 (Tue)

何だか、長くなってしまったから、
山田ハルさんを真似て(^^;)分割してみました。
うーん…・長い。長すぎる。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
先生に見せてもらったのは、養護学校の高等部3年生の授業。
高等部3年生ってのは、高校3年生と同じってことね。
ちがうのは、その画面に映っている生徒が、まるで赤ちゃんのように先生に抱きかかえられてるってこと。
「○○く〜ん。朝の会始めるよ〜」と、1人の先生が言うと、
別の先生が、抱きかかえてる生徒の体をまるで子どもをあやすかのように揺らしながら、
朝の会の歌を歌っている。
「○○君元気ですか〜?」と、先生が聞いても、その子は表情一つ変えない。
「この子はな、重度重複障害児と言って、重い障害を持っている子や。
体は、おおきょうなって高校生やねんけど、首もすわってへんし、もちろん体も動けへん。」
ショックだった。特殊教育ってそういうもんなんだって、
知らずに願書出しちゃった私。
大丈夫なんだろうか。めちゃくちゃ不安が私を襲っていた。

ところがどっこい。
楽しかったんだなあ♪
医学、心理学、歴史、社会学…・
初めて聞く言葉ばかりだったし、毎月のように出されるレポートの山には泣きそうだったけど。
毎日、毎日が新鮮だったの。
養護学校や障害者の作業所、それに、重い障害を持った子供のための病院などなど…
授業の中では、こういった諸施設を見学にいったり、実際に一緒に活動したりした。
お弁当を持って、みんなで遠足に行ったり。
音楽に合わせて踊ったり。
ベビーシッターみたいに、障害を持った子の世話を1日したりもした。
そんな毎日が、楽しくって楽しくって♪
大学時代、私がショックを受けた重度重複障害児とのふれあいもあったけど、楽しい楽しい♪
中でも、福祉法人として、大きな障害者作業施設を作ろうとしている人の話が、とってもおもしろかった。
自閉症で、言葉は「ごはんでしょ」「いや」「だめ」しか言えず、
暇さえあったら手のひらをひらひらと目の前でかざしていた男の子が、
2時間1度も休まず、正確にしかもものすごいスピードで菓子おりの箱を作ってる。
「きちんと教えてやったらね、この子達ほど一生懸命働ける人はいませんよ。
 僕が一生懸命やっても全然追いつけませんから」
実際、その子は信じられないスピードで、紙箱を作っていく。
私たちが、ちょっと考えないと合わせられない化粧紙の張り合わせも、
驚くべきスピードと正確さで張っていく。

そんな言葉に、私は初めて「こういう仕事をしたい」って思い始めた。
楽しいから、っていうんじゃなくってね。
「生きてる」っていう思いを、一番感じたこの仕事をどうしてもしたいって。
たまたま、授業を受けていた教授がもうすぐ退官で、しかも、その後障害者福祉施設を解説することを聞いた。
ナイスタイミング!
教授にお願いに行って、くわしい話を聞くことができた。
あの時は、本当に嬉しかったなあ。
自分の進みたい道が決まった瞬間。
能面みたいな顔で、面接を受ける必要はない。
自分の思いをそのままぶつけたらいいんだから。
でも、最後教授に一言いわれた。
「ただし、条件として教採に落ちてくること。
ズルはいけませんよ。しっかり、一生懸命受験して落ちたらつかってあげます」
なんだ、そんなことか♪
特殊教育にはまってから、毎日のように小学校の授業の手伝いに行ったり、施設の補助をしていた私は、
教採のための勉強なんて何一つしていなかった。
試験に受かってこいって言われたなら大変だったけど、落ちてこいなんて。
そんな私にうってつけじゃん。
ルンルン気分で、教採会場に。
筆記試験は、とにかくマスを埋める(ちなみにマークシート)。
面接試験は、「1番に手を挙げろ!」と言う先生の意見をそのまま実践した。
後は、この試験に落ちるだけ。

ところが。
うかっちまっただよ。
「とりあえず、3年間働いてみなさいよ。それで合わなかったら、いつでもおいで」
そういって、教授は去っていった。
ある人からの話からすると、この教採受験の条件は、
「施設で辛いことがあっても、そこから逃げないため」と、
「真っ正面から試験にぶつかっていくため」の意味があったらしい。
施設に入ると、絶対辛いことがある。「こんなことなら、教採受ければよかった」という思いを断ち切るためにも、
一度ぶつかって落ちて、きれいさっぱり気持ちを切り替えるための、先生の作戦。


こうして、今私は教職に就いている。
ほんと、流れ流されここにたどり着いたわけです。
毎日、3人の子ども達に囲まれて、走り回って生活している。
私、今楽しく生きてますよ♪



就職戦線異状ありあり。(前編)
Date: 2000-06-06 (Tue)

しんぐる わいふ らいふ」のたかちゃんとお話ししていて、
私のコラムに反応があったことを知り、
びっくりしてその文章を読んだ。<これまで、ほとんど見てなかった人^^;
今、私の学校にも教育実習に大学生のみなさまが来ている。
初初しくって、緊張感が肩のあたりにただよわせて、
一生懸命指導教官の後をついていってる姿は
カルガモの親子を見てるみたいで、なんだか楽しい(ごめんなさい)。
ああ、私にもあんな時代があったのね(涙)
でね、「いったいぜんたいどうして教員になったのか」っていう話をちょっと書こうと思って。

大学4年生の頃、周りに流されながら教職のための単位を取っていた私は、
「教員採用試験(私の大学では、『教採』って言ってたけど…)」っていう壁にぶち当たった。
周りには「俺が先生にならなくて誰がなる!」みたいな熱血教師志望の友達と、
「やっぱ、私にはあってないかも」と一般企業や公務員試験に切り替えた友達。
でもさあ、そもそも自分が何になりたいか、なんてハッキリ決めてなかった私は、
そのどちらも選べなかった。
ある時、ふらふらといつものコーヒー屋さんでボオッとしてたら、
向かいのビルから、アリのように人がドッと出てきたの。
リクルートスーツを着て、書類ファイルを脇に抱え、能面みたいな顔で出てきた、
私の就職戦争のライバル達。
ああ、こんな人間にはなりたくないって、ものすごく強く感じてしまって(ごめんなさいpart,2)。
一般企業への就職希望を一気に失った私は、消去法で教員の道を選んだ。

教採は各都道府県と、一部都市の教育委員会によって行われる。
つまり、何度か受けるチャンスがあるってこと。
地元と、隣の県の願書を取り寄せて、とりあえず提出。
試験まではとりあえず、受験勉強に必死になり当日を迎えた。
そこには、衝撃的な光景があった。
私が拒絶反応を示してしまった、あの姿がそこかしこにあった。
リクルートスーツに書類ファイル。
気づくと自分も、同じ格好をしている。
筆記試験と、集団面接。
面接の時には、どこかの参考書で読んだことのある文章が隣の人の口から出てきた。
「どうして、教師になろうと思いましたか?」
こう聞かれたとき、私以外の受験者は一斉に手を挙げたけど、私は挙げられなかった。
流されただけで、こんな所に来ちゃった自分に対して、なんかあきれてしまった。
試験の途中で、「ダメだな、こりゃ」って、本気で思った。
中途半端な気持ちで教採に落ちた私は、
今更他の就職試験に向かう気持ちも起こらず、
何とも言えない気持ちで毎日を送った。

ある時、親しくさせていただいていた教授に呼ばれ、
「就職しんのやったら、ここに行ったらどうや?」と、一つの書類を渡された。
「特殊教育特別専攻科」の文字。
「ここはな、1年で特殊教育の免許と専修免(通常、大学院卒業で取得できる教員免許)が1年でとれるとこや。
僕の知ってる先生も教えてはるし、もともと教員が放課後に通えるように、夜の授業が多い。
君みたいな宙ぶらりんな人やったら、昼間は教採の勉強して、夜授業受けてたらいいのとちがうか?」
特殊教育って何?
夜の授業が多いってどういうこと?
っていうか、私、もう教採は受けないと思うんですけど…

だけど、フリーターをして生活する自信のない私は、
勧められるまま、願書を提出。
その後、「これ見ておくと、いろいろ役に立つで」と、見せられた私は、
ショックで目を伏せずに入られなかった。
(つづいちゃうのだ)



私の城。
Date: 2000-05-25 (Thu)

私は今年度教員生活4年を迎えました。
で、この4年間のうち、今年度も含めて3年間学級担任をしてます。
3年間のうちに担任した生徒数は、5人。
今年が3人。昨年度と一昨年度が1人ずつ。
こういう風に書いちゃうと、「月曜スペシャル!」みたいなテレビ番組に出てくるような山の中の小さな学校をイメージされちゃうと思いますが・・・ちがうんだな、これが。
毎年平均600人くらいの生徒がいる、この地域じゃあ1,2を争う規模の学校です。各学年6クラス。

私、特殊学級の担任なんです。

特殊学級には、いわゆる教科書ってのがないの。その年の生徒の実態に合わせて、こちらでカリキュラムを組むんです。
普通学級で因数分解だの、現在完了だのって勉強をしているとき、隣の私の教室では歯磨き練習をしていたり、買い物ごっこをしていたり、時には縄跳びをしてたりするわけです。
それに、たとえば数学の数と量の勉強をするときに、小麦粉をはかりで量ったり、ダシの量を計量カップで量ったりしながら、たこ焼き作りをしても、それはそれでアリ。
指導の目標さえしっかり立っていたらに限るけど。
だから、私の教室には、普通の教室にない物がたくさんある。
パソコン。ミシン。オーブンにホットプレートにカセットコンロ。土鍋。鉄琴。ボンゴ。ぶら下がり健康機。それに卓球台。体育用のマット。
普通教室2つ分の広さがある私の城には、それこそ後冷蔵庫があれば、何日間かは生活できるだけの物がそろってる。

ただ、普通の教室にあって、うちにはないのがある。
教師用机。
教室で、私に割り当てられた机は、生徒と同じ机。
今年度、念願の「複数の生徒の担任」を達成したので、来年度以降は、是非教師用机をゲットしたいと思ってるます。

こんな所で、毎日、のほほんと暮らしてます。 



給食
Date: 2000-05-21 (Sun)

私は給食が好き。どこのって、学校の。
学校給食って、あんまりいいイメージないみたいなんだけどさ。
まずい、とか、嫌いな物も無理矢理食べさせられるから嫌だ、とか。
時間内に食べられなくて、お昼休みずーっと教室に残されて泣きながら食べたとか。
私の友人の中には、どうしても嫌いなニンジンが食べられなくて、食パンの間に忍ばせて、密かに家に持ち帰ったりしてた子もいた。

だけどね、実際、私の通っていた小中学校は、給食おいしかったの。
山あいの小さな町だったからかもしれないけど、毎日給食が楽しみだった。
家で食べたことがない物を、学校給食で初めて経験したしね。
「ニンジンのグラッセ」「ビーフストロガノフ」「松茸ごはん」「ニジマスのからあげ」などなど・・・
すごいっしょ??<ちょっと自慢( ̄^ ̄)
松茸ご飯なんて、厚みが2mmほどある、形がそのまま残ってる松茸が、一人5枚以上は入っていたし。500人分だよ??すごいっしょ??( ̄▽ ̄)

で、今、私は中学校教員をしている。今年で4年目。
採用試験に受かったとき、頭の片隅に給食が再び食べられるようになったうれしさがよぎったのも事実。4年目になった今も、給食に対する想いは変わっていな
い。
「今日は山菜うどんか・・・♪」「げ、今日は糸こんぶサラダだよ(´□`;)」
給食の盛りつけの時に、好きな献立の時は「なんで、○○くんより私のスープが少ないん?増やして」と、大人げないお願いをすることもある。
学校の先生だって、昼御飯の献立によってやる気も変わるってもんです。
にゃははは



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