マヤコフスキー博物館
旧KGBのあったルビヤンスカ広場に、ロシア・アヴァンギャルドの詩人、 マヤコフスキーの博物館があります。 彼がロシア革命後、モスクワに移った1919年から、自殺するまでの1930年まで 住んでいた家が、現在博物館になっています。
ワタシは、彼のことをよく知りませんでした。 彼とともにグラフィックの仕事をしていたエル・リシツキーの作品が好きで、 ここに行けば当時のグラフィックがたくさん見られるかな…と、 ちょっと脇道にそれた興味で赴いたのです。
ロシア・アヴァンギャルドという名称は、後世に付けられたもので、 はじまりと終わりの年代、そして歴史的意義については諸説あります。 ワタシの理解では、帝政ロシアからソ連への移行期間に、 自分たちが新しい時代をつくるんだ、という気負いをもった芸術家たちが、 絵画、演劇、建築、映画、音楽などの分野で、古い概念を打ち破る、 実験的な作品をつくり民衆にアピールした、 ひとつの青春群像のようなものだったのでは…と思っています。 そしてマヤコフスキーという人は、色んな意味で目立っていた人らしいです。
さて博物館です。 ルビヤンスカ広場というのは、赤の広場にほど近い、いわばモスクワの一等地です。 人通りも車の往来も激しい、その一角。 路上で、若者たちが詩集や本を売り、芝居のチケットを売っていました。 もしかして…とビルの谷間に入ってゆくと。 いい感じに古びたビルの入り口が、朱色の鉄骨で枠取りされ、 クールにデザインされた「 МАЯКОВСКОГО」(マヤコフスキーの)という サインが掲げられていました。
入った所にチケット売り場と、本屋がありました。 さっと視線を走らせると、画集、ポスター、カード…とのどから手がでそうなものが たくさんディスプレイされています。 腕に大きな入れ墨をし、鼻にピアス、スキンヘッドの兄さんからチケットを買いがてら、 図録はある?無い、写真とってもいい?1カットにつき8ドルだよ(高い!嘘ついてない?) というやり取りをかわし、 購買欲でふくれあがったワタシは、(あとでくるからまってろよ)と後ろ髪をひかれる 思いで階下に降りました。
ワタシは、モスクワに来たらぜったいここに来たい!と強く思っていたので、 この博物館を紹介するホームページを律儀にも印刷して手元に持っていました。 以下は、そのホームページの記載内容を参考にしています。
地下に降りると、大きな鏡とその前にゆがんだ椅子が並んでいました。 マヤコフスキー宅に訪れた人々は、まずここにすわって己の姿を写し、自省した… そうです。 クロークのおばちゃんは、妙に愛想の良い人で、荷物を受け取りながら、 どこから来た?日本、そうそんな遠くからようこそ、まあ、まずはそこの椅子に座ってみなさい… というような意味のことを言って、ワタシに椅子を勧めます。 素直に従って椅子に座るワタシをおばちゃんは、じっと見つめています。 (なんだかよくわからんなあ、こまったなあ) と、居心地悪く、ただそこに座りました。
しばらくして、おばちゃんが手招きをして、さあ、この階段をあがってゆきなさい、と 手ぶりで示しました。 別れ際に、にやっと笑った…ように感じたのは、ワタシの心象風景かもしれません。
この博物館の展示は、非常に抽象的でデザインに凝っています。 どうやら詩人の幻想と詩のメタファーを空間として表現しているらしいのです。 たとえば… 天井から壁にかけて古い写真が貼り付けられています。 破れ下がっているように見えても、それがデザインなのです。 よくよく見ると、革命当時の赤の広場や、戦車だったりします。 でもそういったことの説明は一切なし。 勝手に感じなさい、ということらしいのでした。
机と椅子があります。マヤコフスキーの写真が座っています。 大きな時計があります。 そしてそのまわりや時計の中に。 イラスト、デッサン、本、葉書、手紙、写真、新聞…などなどが 散乱しています。 これが、彼の創造の糧なのでしょうか。
ロシア正教の聖母像が額縁に入っています。 聖母の顔のあたりのガラスが、大きく割れています。 宗教という呪縛の打破、なのでしょうか。
ロシア皇帝らしい人の油絵があります。 その油絵は、展示のバックヤードに逆さまになって放置されていました。 あまりにベタなので力が抜けました。
一つのフロアに階段が二つあったりして、順路にも迷います。 迷っているワタシをロシア人の老婆がじっと見つめています。 老婆は黙って近寄ってきて、方向を指し示します。
鉄のオブジェを横目でみながら、吹き抜けになったらせん階段をのぼってゆきます。 そして最上階に、マヤコフスキーの居室がありました。 机と椅子、本棚、暖炉、コーヒーテーブルとソファ…といたってシンプルな部屋です。 机の前に一枚だけ、写真が貼ってありました。 (あ、レーニンだ…) と一歩前に出ようとした瞬間。 目の前で扉が閉められました。
なぜ?どうして?と扉を閉めたおばさんにつめよると、 これ以上見てはいけない… とロシア語で言っているようです。 そしてワタシのメモをとりあげようとしました。 なぜ、どうして…ととまどいながら取りかえし、 コミュニケーションをとろうとしましたが、 彼女はワタシのわからないロシア語で何やらまくしたて、追い払おうとしました。
不条理。
1930年、マヤコフスキ−はこの部屋で、ピストル自殺をとげたそうです。 スターリンによる圧制のはじまりに絶望した、とも、 かなわぬ恋の苦悩ゆえ、ともいわれています。 最後に目にしたのは、レーニンの肖像だったのでしょうか。
マヤコフスキーは、随分とポートレートを残しています。 それをみると、かなりの美男子。背も高かったそうです。 ナルシストだった…ような気もします。
お目当てだった当時の抽象的なグラフィックや、 マヤコフスキ−自身のイラスト (彼が新聞記者をやっていたときに、「ロスタの窓」というイラストで 文字の読めない庶民に主張を伝達したそうですが、この作風が非常に アイロニックで素朴でかわいらしいのです) などなど見られて、本当に満足したのですが…
展示の最後で、またしても不条理な出来事が。 とつぜん、展示スペースで5,6人くらいの男女が叫びはじめました。 「真実ってなんだ、真実ってなんだ」 「知らないわ」 どうやら芝居の稽古らしいのです。 見回りのおばちゃんが稽古をみていたので、ワタシも見ていたら、 しばらくして追い払われました。
ここで、意味や理屈を探そうとしても、無意味なことかもしれません。 なんといってもマヤコフスキーという人自身が、ラビリンス(迷宮)だったそうですから。 この展示をデザインした人は偉大だ…と思いました。 アートディレクションはフランス人だそうですが、よくわかりません。
終わりに、入り口(出口)の本屋で、これでもか、というくらい買い物をしました。 入れ墨のお兄ちゃんもすごく愛想がよくなって、 大判のポスターをロシア紙で品よく包んでくれました。 これも買っていきなよ…とマヤコフスキーの詩集を差し出されましたが、 言語の習得以前の問題かも…と思って慎んで辞退しました。
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